昨日が陳真サンだったので、今日は江南スタイル。装丁 吉永聖児
装丁の人のウデだと思いますが、シンプルですっきりして、かわいいニコラ。
開けると、エンピツ書きの、ほっこりあったかいニコラ。
https://www.books.com.tw/products/0010740975
あちら版のニコラはアブラギッシュ。
これはあれですね、池袋のジュンク堂で、ベトナム領に少数民族として暮らすカンボジア人、クメール・クロムの本を買ったついでに買った本です。新修大正大蔵経が全巻棚にバーンと並んでいて、しかもバラ売りしてたので、ジュンク堂の実力に圧倒された記憶があります。今は昔のものがたり。京都時代、地元資本の、ブッコフ的な新古書店で、ニコラを金一族の如くあがめたパブ邦書を見たことがあり、偉大な蒋経国総統の指導下で中華民國は振興中華に邁進、みたいな文句もそんなおもしろくなくて、無駄なので買いませんでしたが、気にはなってたので、評伝を買ったしだいです。
原書が「江南版」と銘打ってるのは、複数のペンネームを持つ著者の公認版が出る前に、「丁依」という筆名版が、本人承諾なしで刊行されたから、区別のためにやってるみたいです。ジュンク堂でも、この江南版と丁依版(別の訳者で、批評社から1981年刊行)ふたつの邦訳が並んでいて、違いは確認せず、なんとなくこっちを買いました。
https://7net.omni7.jp/detail/1100328209
「天安門」うんぬんはハッキリ言ってこじつけで、邦訳出版の直前に天安門事件が起こったからそう書いてるだけですが、巻末の訳者のことばによると、1988年の蒋経国逝去時に北京から弔電を打ったのは趙紫陽だったそうなので、あながち100パー関係ないとも言えない、ということなのかも。同じく訳者のことばのページに、江南(本名:劉宜良)未亡人に邦訳の許諾を得たと書いてあって、未亡人の写真が載ってます。未亡人は崔容芝という方なのですが、米国ではミセス・ヘレン・劉と名乗ってるそうで、この辺、米国社会の夫婦同姓に漢人も合わせてると分かります。版権項目を見ると、"Copyright © 1984 Helen Rong-Jy Liu" ウェード式で劉容芝と書いています。
内容的には、あちらからスラブ人ヨメを連れて帰国したニコラと、アジア的家父長チャンカイセックの相克が非常に面白い本です。(アメリカナイズされた義母蒋宋美齢との関係は忘れた)ほかの歴史書ではそんなまとまって触れてない、KMTの大陸失陥台北臨時首都遷都くん以降の、浙江省沖合の一江島、大陳島攻防戦とその敗北も書いてあって、中共の攻勢とその防御に関しては、よく、金門島を守り切ったことがクローズアップ現代されますが、その陰で、補給がのび太別の島で敗北していることも夢忘れるな、と。
というような本で、これを書いたからといって、マサカ殺されるまではと思うのですが著者江南の劉宜良は、居住するカリフォーニアで、国民党の手のもの、外省人ヤクザらによって、1984年殺されます。
本書は、江南による序文の次に、江南未亡人による日本語版への序文が載せられています。なぜこの本を書いたことで命を狙われ、落とさなければならなかったのか。ただ、災い転じてなんとやらで、蒋経国総統はこの事件後、二つの「やらない」宣言をしたんだそうです。「やらないか」宣言でなく、「やらない」宣言。「次代總統は蔣家三世から出さない」「軍事統制をしない」息子をシンガポールに左遷し、戒厳令を解き、独裁政治を終焉させ、報道規制も解除したと。台湾の民主政治を軌道に乗せたことで、夫の死も無駄ではなかったと、未亡人は書いています。彼女は、日本語版序文に、宋代の女性詩人李清照の詩を寄せました。
生怕闲愁暗恨,多少事,欲说还休。
(ただ日ごと憂い、密かな怨みに終わるを怖れ、過ぎし事々、言わんとして口を噤む。)
原文は簡体字ではありませんが、私が勝手に簡体字にしました。人口2000万の台湾ですらこのように忖度の暴走は起こるわけですので、日本は知りませんが、人口十三億の本土中国で、クマのプーさんやら朱建榮拘束やらあれこれ起こるわけだと。本書は劇的な展開を遂げますが、こうしたひとつひとつが、未来への道しるべ、暗闇を照らす明かりとなりますように。以上