『コンビニ人間』"Convenience Store Human-Being" by Murata Sayaka(文春文庫)BUNSHUN BUNKO 読了

『みんな水の中』という本*1で、当事者読書会で毎回大反響の書籍として紹介され、それならと、リクエストしては忘れるを二回繰り返したのち、一時間で読みました。

books.bunshun.jp

単行本も文庫本も同じ表紙。カバー作品・金氏徹平「溶け出す都市、空白の森」より「Tower」 デザイン・関口聖司 ちなみに、中文版は大陸も台湾も日本と同じ表紙。

www.openbook.org.tw

人间便利店(2018年湖南文艺出版社出版的图书)_百度百科

香港は調べてません。《人间便利店》か、「便利店人間」か。私は大陸で中国語を学んだので、実は前者のほうがしっくり来ます。「人間チンボーだ」否「人間辛抱だ」などと同じ文脈で考える。「人間、コンビニだ」

ko.wikipedia.org

ハングルも、表紙は違えど、「ピョニジョミンガン」(勝手にリエゾンさせましたが、韓国人は「ピョニジョム インガン」と読んでるかもしれない)で、漢字で書くとやはり「便利店人間」です。

面白いんですが(少なくとも私だけは面白い)東アジアはなべて「人間」なのに、英訳は「ウーマン」女性になってます。私の読書感想も最初それを貼ったですが、なんとなく考え直して、勝手にヒューマンビーイングにしました。

Convenience Store Woman - Wikipedia

redkiwiapp.com

本書は世界三十ヶ国(英語版ウィキペディアによる)に訳されてるそうで、16言語の著者ウィキペディアを横断してその題名を見比べました。

<A群>

イタリア語"La ragazza del Convenience store"  コンビニの女の子、くらいの意味だとか。

インドネシア語"Gadis Minimarket."  やはりコンビニガール的意味合い。

ポーランド語"Dziewczyna z konbini"も「コンビニガール」

スペイン語も"La dependienta"で、男性形定冠詞"el"でなく女性形"la"なので、やはり女性かなあと勝手に思いましたが、スペイン語は分からないので分かりません。ラ・マンチャの男

フィンランドスオミも"Lähikaupan nainen"で「コンビニの女性」になるようです。

イランのペルシャ語だとزن خواربار فروشで「食料品店(グロサリー)の女」くらいなのか。

英訳はこのA群に入ります。

<B群>

イランの隣のアゼルバイジャン語は"Market adamı"で、これは「コンビニにんげん」みたいです。

ロシア語も «Человек-комбини»「コンビニにんげん」

オランダ語"Buurtsupermens"「コンビニマン」

エストニア語" "Inimene helendavast klaaskastist"をグーグル翻訳すると「輝くガラスの箱から出てきた人」

漢語とハングル訳が「人間」なのは上記記載済。

<C群>

ポルトガル語は、ブラジル連邦版が"Querida Konbini"(親愛なるコンビニ)

ポルトガル共和国版は"Uma Questão de Conveniência"(便宜上の問題)

イスラエルヘブライ語版が"בשולי הנוחות"で、「快適さの片隅に」とでも訳すのでしょうか。グーグル翻訳参照。

フラ語ではただ単に簡潔に"Konbini"(コンビニ)

エロ人間国家ドイツのウィキペディアには本書の独語訳タイトルは書いてませんでした。以上ABC群それぞれのフェミ度とその国のフェミ浸透具合のイメージギャップで夏休みの宿題を書いてみたい人は、まず上記をぜんぶエクセルベースで表にしてみてください。私はやりません。残りの14国のタイトルを調べる努力もしません。文春にメールすればいいやんけ的安直な考えをする人がどれだけいるか、文春が集計して晒すようなヒマなことはないと思います。

村田沙耶香 - Wikipedia

朝井リョウ加藤千恵西加奈子ら作家仲間からは「クレイジー沙耶香」[11][12]と呼ばれている。

ここまで書いて、やっと私も本書の感想を書く土俵に立てた気がします。ちなみに読んだのは図書館の隣の公園のベンチで、図書館から出て暑いので百円のチェリオ一気飲みしてそれが抜けるまでいましたが(グレープ味)公園施設内の職員から、炎天下にベンチで図書館本片手にうつらうつらしてるジジイということで、ひそかに観察されていたようで、読み終わった後、無料展示「公園内の虫たち」の看板でも写そうかと休憩所に近寄ったら、中から職員が出てきて、中は涼しいので、よかったらどうぞと声をかけられました。人は一人では生きてゆけないというか、コペル君が「人間分子網目の関係」と呼んだのはこれだったかもしれません(ちがう)

解説 中村文則 解説に「会心の一撃」とあるのはその通りだと思いました。ただし、私は、著者のほかの小説を読んだことがないので、絲山秋子やら江國香織やらチョンセランのように、いろいろ読んでのなんしかは言えません。でも、本書と異なり、ほかの小説では、やっぱり「ほかの女性小説家も書いてるから」なのか、セックルとかグロとかいっぱい書いてそうなので、ほかのどれを読むか、よくよく注意しなくてはならないです。山田詠美の『風葬の教室』に思春期感銘を受けたのカーという。私はそれで、下記の読後感をけがしてはいけない。

頁160

 お客様にお釣りを渡し、ファーストフードをお包みするための大切な手だ。白羽さんの粘ねばっこい汗がついてるのが気持ち悪くて、これではお客様に失礼になってしまうと、早く洗いたくて仕方がなかった。

たぶん、なんとか縛りの社会設定のエスエフが多いのかなあ、と思います。『殺人出産』(こういう語弊を恐れない生き方だったのだなと思います)と『丸の内魔法少女ラクリーナ』(ハケンアニメ!やナオコーラのようなタイトルですが、違うんだろうなと予測します)『地球☆人』を読めばいいのかなあ。『白色のまちの、』は川上未映子のようなタイトルだと思いましたが、ちがうかもしれません。

この小説は、ある種の人間の弱点「変化に弱い」を実に効果的に突いてきて、永遠な日々なんてないんだけど、この平穏なくらしがこのまま続いてほしいという人たちの願望を、実にうまく昇華させています。それが「BBAメシつくれ」とか「ジャンプ買ってこい」的なエターナルであれば、世の多数派の同情を引くこともなく、「働きよし」「社会に寄与しなはれ」「甘えなはんな」でFAでしかなかったです。この小説の主人公は①強い。手加減せず男子を屈服させる腕力を小学生当時から持っていて、リミッターの意味が分からなかった。②協調性がある。あの「コンビニ」で、仕事は誰でも出来てスキルアップもクソもないが、どの仕事もそうですが、シンプルな労働をムダにややこしくする「人間関係」が大きな理由のひとつで人が辞めていく業界のひとつ(と私が勝手に思っている)コンビニで、18年も、なんのトラブルもなく(というかトラブルをうまく処理して)働き続けている。これはすごいことです。たぶんここが、幾多の読者の琴線に触れたのではないでしょうか。コンビニというのは楽な仕事と思われがちですが、それだけに人間だけが焦点になりがちで、社会経験の少ない学生バイトが多く、彼らがしょうもないマウントとりのためにサボリ見逃せとかそんなにマニュアルどおりやらんでもええやんけ的にやいやいやってる世界なので、そこでキチンとしたモノサシでカチンカチンと的確な仕事が出来るのは、素晴らしいことだと思います。だいたいそれが勘違いで、「◯◯さん何やってんの、ダメだよ、あーお客さんすみません」になってしまうということが、主人公にはない。まさに、「輝くガラスの箱から出てきた人」です。

同棲相手となる男性キャラみたいのというか、さらにヒドい、実害のある人物はたくさんいるので、そういう野獣をねちこく描写することが本書の主眼でなかったのも、成功の原因のひとつかと思います。ほかにもあるし、読みたくないし。「お、俺、そこまでひどくないやろ?」

まったく関係ありませんが、元首相射殺について、人をなめきった態度をとり続けてるから、ああいう目に遭うんだ、あそこまで憎まれるってのは、やっぱ理由があるんですよ、自分を何様だと思ってんだ、と言う人がいて、あの事件は統一教会案件であることが前提ですが、射殺犯について別の角度からいうと、直近でも仕事で、人間関係でトラブル起こす性格で、長く続かなかったそうですよ、と言うと、何か怒りに燃えた青い炎を目に宿して、その人はどっか行ってしまいました。

①②がすばらしいだけに、❶昇級がない。本社引き抜きとか、エリアマネージャー採用試験とか、新規開店の店舗の店長候補を見据えた正社員登用とかの話がない。18年の間に八人の店長が入れ替わって、そのうちの何人かは離職で、さらに数人は体を壊したりメンタルで辞めているので、マニュアル仕事は完璧だが、想定外のアクシデントに臨機応変に対応するスキルが求められる階位への昇進推薦等が、ないのであれば、それはそれで悲しい気もします。本人もそれをまったく考えておらず、トラブルを起こす客が来ると、店長につなげて、あとはルーティンワークに安住するだけの日々になってしまっていると(それだからこそ大企業コンビニなのですが)いささか残念閔子騫です。最初にバイトしたコンビニが新規開店のいい店でなく、ヒドいバイトのすくつの店だったら、ちがった人生だったんだろうなあ。

その意味で、進学時の最初に沖縄のガラス工芸とか、モンゴルのホーミーとか、チベット曼陀羅絵師とか、別のベクトルで集中出来る何かを見つけていたら、親も裕福なわけですし、18年援助のしがいもあったのではないかと。いや、援助はしてませんでした。温かい目で見守ってはいたけれど。「師匠」とか「名人」になれんねやったら、浮雲商売やさけ、結婚せんかてええがなということに、なりませんでしょうか。コンビニは、いくらスキルアップしても、地区担当になりまんたとか、本社でスイーツの商品開発に携わることになりまんたとか、そういうのがどうなのか(あったとしても、こんなに淡白な主人公が出世欲ガツガツな人間たちを押しのけて出世出来るか疑問ですが)作者が二世大学たまがー大学のゲージツ家コースを出ていたということなので、コンビニの限界と異業種について、なにかほかのかたちで発信されていたら、よいなと思います。「わたしが考えた、わたしの理想のコンビニをここ◯◯島共同売店で実現します!」みたいのは抜きで。

❷主人公が社会に適合するためファッションアイコンとして存在をエピゴーネンしてる泉さんという既婚女性アルバイトと店長が、主人公が同棲してると分かった瞬間、それまで見せていた仕事面での尊敬出来る人間像とかけ離れた、主人公に理解不能なモンスターと化して、業務ほっぽらかして、ひたすら控室で、えーあの恵子さんがいんぐりもんぐり、ウフフ、エヘヘ、と、内緒話に興じている場面。ヒューマンソサエティーを「あちら側」と「こちら側」に分類して、お前はどっち側なんだとゼロワン回答を迫ったのが故狩撫麻礼の分類法ですが、その伝でいえば、主人公はここで、ハッキリと、❶出世に必要なナニが欠落してるか、を如実に活写されてしまっています。ここの主人公の孤独は、読んでて相当せつなかった。

❸来店して「ここはいつまでも変わらないわねえ」と語る老婆の登場が、この小説の天丼美なのですが(18年の歳月を考えると、老婆自体は入れ替え可能な構造かもしれず、それもこわいです)現実には、コンビニの立地は永遠ではないことが、すでに立証されています。店舗のテナント契約が切れると、延長料を払ったり再契約したりせず退店し、近所の手ごろな物件に新規出店をする繰り返しが今のコンビニ直営店のエリア展開なんだとか。跡地は空いたまま。そういう場所、誰でも見聞きしてると思います。このお店はオーナー店でなく直営店ということなので、主人公がアホにひっかかって就活名目で辞めなくても、いつかなくなっていた可能性が高いです。片桐はいりは幸運なことに、女優業を続けながら、副業「もぎり人間」も、キネカ大森という伝統あるハコで続けてこられたわけですが、映画館ですら閉館はままあることですので(直近例:岩波ホール)ましてやコンビニをやという。

もっといろいろ書くことがあったかもしれませんが、暑いので、以上です。