『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』"Spanish Flu Hits Japan. First World War Between Humans and Viruses."〈二十一世紀叢書〉"21st century series"読了

これもボーツー先生と福田和也の書評対談に出てきたので、読もうと思っていた本。思った以上に早く読めました。

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日本を襲ったスペイン・インフルエンザ――人類とウイルスの第一次世界戦争

https://image1.shopserve.jp/fujiwara-shoten-store.jp/pic-labo/llimg/9784894345027.jpgこの本をいつか読もうリストに入れた時には、まさか新型コロナウイルスで世界がなんちゃって状態になるとは予想も出来ませんでした。2006年刊行の本なので、SARS鳥インフル、豚コレラはすでに当時紙面を賑わしていて、本書も来るべきパンデミックに備えよと警鐘を鳴らしてはいるのですが、頁431等にあるように、ペストやコレラ(そしてチフス)のような致死率の高い凶悪な伝染病に比べ、死亡率は遥かに低いが罹患率は高い伝染病ゆえにスペイン風邪は「軽く」見られ、忘れ去られていったのではないかという至言が、今は逆説的に私に突き刺さってきます。新型コロナウイルスも(初期型に比べ)現在は「軽い」ので忘れ去られてもよいはずなのに、忘れてしまった後に本格的に何かが始まる可能性がおそろしく、また忘れさせた扇動責任を為政者の誰もが負いたくないために、ずるずるとここまで来ているのではないか、そういう懸念を誰もが持ちながらも、「王様はロバ」と言い出せない世の中、「王様の耳はロバの耳なら分かるけど、王様はロバってなんだよ」と論破王に論破されるだけで詰まらないと思って口をつぐんでしまう風潮が長いものに巻かれて、さらに抗原検査キット等で既得権益おじさん登場の昨今なので。読めてよかったです、本書。

右は表紙の図版。頁425の章扉に同じ図があり、内務省衛生局作成のポスターだそうです。

「マスク」をかけぬと。。

しやでんしやひとの中なかでは「マスク」せよ 外ゲヒの後のちは「ウガヒ」忘わするな

「マスク」とうがひ

今回緊急事態宣言になる前くらいは、黒マスクなんてアジアからのインバウンド観光客がかけるもので、汚れが目立たないだけが特色のイカチい黒マスクは、どうにもそぐわない、やはり日本は白マスクなんて思ってたのですが、こうやって大正時代にそのへんのオバサンが湘南爆走族みたいなマスクかけてる図版を見せられると、いかに我々の考える伝統とか歴史といったものが、底が浅いというか、せいぜい数十年スパンでしか遡航出来ないものであることを再確認します。うがいも、商家の間口の広い玄関のあがりまちでガラガラするとして、そのままタタキにぷへっと吐くんでしょうか。流すんなら水屋か勝手口でやればいいのに、と思わなくもありません。それともこれは庭先で、濡れ縁に火鉢という絵なのかな。

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作者は歴史人口学という学問がご専門だそうで、75歳くらいの時に共著で『大正デモグラフィ』という本を出し、その中で日本におけるスペイン風邪について章を割いたところ、日本語で書かれたスペイン風邪についてのほとんど唯一の文献であると指摘され、調べたところ、確かにほかにないので、ちゃんとまとめようと本書を書いたそうです。もとより細菌学とか理系には門外漢で、英語で風邪は"flu"インフルは"cold"(頁22)などと逆を書いてしまうように(風邪がコールドだろうと誰でも突っ込むはず)校正チェックミスとしか思われない誤記もあるのですが、些細な揚げ足とりを怖れて本義をなさぬわけにはイカンゴレンと、功成り名を遂げたのちの名伯楽時代に、あえて本職でないところに挑んで大仕事をしたという次第みたいです。本来これを書くべき医学や分子生物学やウイルス学の従事者たちは、日進月歩の未来に向けて研究せねばならず、過去の遺構をまとめる文献研究でスペイン風邪(生存者のいる時代も過ぎたので、聞き取り調査という時代でもなくなった)を追うのは、歴史学使徒からのアプローチ、任務になるのやもしれぬ、とのことでした(頁14)理系の人に歴史編纂は㍉、と私なんかは思うのですが、今はAIが編年体史書書くんですぅとか反論されるかもしれません。

歴史人口学の用語なのか、本書はパーセントでなく、パーミルという用語をよく使用してます。1パーミルは千分の一で、=0.1%。

中扉の図版は出典不明。装丁やデザインが誰なのか、奥付や目次後ろには記載がなく、私は図書館本を借りたので、ビニルパッケージの関係上カバーは切ってあって、そこに記載だとしたら分かりません。

恐るべし「ハヤリカゼ」の「バイキン」!

マスクをかけぬ命しらず!

ここも命知らず以外全員湘爆状態。この頃のことを覚えてる人が全員寿命で死んでからコロナカになったので、「むかしもこうだったんだよ」なんて古老が言ったりしないんですね。速水サンによると、アメリカでイチバンよくまとめられたスペイン風邪についての本も題名に「忘れられたパンデミック」と書いていて、海外でも、なぜかこの流感蔓延の記憶は"forgotten"なんだそうです。本書は、スペイン風邪と呼ぶのは正しくない、正しくはスペイン・インフルエンザである、と書いていて、なぜなら風邪とインフルエンザはちがうからなのですが、私はインフルエンザと七文字打つより風邪と二文字打つ方が楽なので風邪と書いてます。楽に流れる大衆が正しい科学の理解を阻むー(´Д⊂ヽ

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本書頁23によると、この病気の発生とスペインは無関係なので、"Spanish Influenza"という呼び方をやめ、"1918-19 Influenza Pandemic"と呼ぶべきであるとの意見もあるんだそうです。武漢ウイルス、または中国ウイルスとCOVID-19とが呼称争いした時に、かつてのスペイン風邪もスペインを冠するのをやめやうという意見があるんだよ、という主張をまったく見なかったのは、"1918-19 Influenza Pandemic"という言い方が広まらなかったからで、しかし、"COVID-19"は定着。"Spanish Flu"はすたれず、"Wuhan virus"はトラソプ氏ほか少数派の使う用語となる。

本書は冒頭で理系ネタを走馬灯のように超スピードで流しており、ウイルスはDNAでなくRNAで、RNAはDNAより変異しやすいんだよんとか、そういう話が読めます。スペイン・インフルエンザウイルスが判明したのは、流行から七十年以上過ぎた1990年代のことであり、比較的最近で、過去の遺体や保存組織の遺伝子からウイルスの遺伝子を分離することで、初めてパンデミックの世界的なアウトラインが明らかになったのだとか。本書では鳥インフルから、インフルエンザのパンデミック再発を恐れているのですが、現実はその斜め上を行くコロナウイルスSARSの仲間)襲来で、しかし人類の防御としては、これらのチマチマした?基礎研究の積み重ねが功を奏し、mRNAワクチンの迅速な開発量産で、スプートニクやらシノバックシノファームに一馬身も二馬身も差をつけて勝利しつつある?が、ウクライナで劣勢挽回のためか、実際の銃器戦争勃発ということかなと思いました。頁106の1918年の福岡日日新聞などを見ると、「豚コレラ」を当時は「ぶたこれら」と読んでいて。「とんこれら」とは読んでいなかったことが分かるのですが、なぜ今次流行に際して、ピッグの訓読みが音読みになったのか、読んでいて新たな疑問にもやもやしました。

頁69には、" I had a little bird. And it's name was Enza. I opend the window and In-flew-enza"という、スペイン風邪時代のアメリカの縄跳び歌が紹介されています。

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当時のアメリカはWWの戦勝に向けてバリバリで、かつ禁酒法時代に入るころで、ということはアスピリン・エイジで、アスピリンはドイツ系のバイエルなので、スペイン風邪アスピリンに仕込まれたドイツの陰謀であるとの陰謀論もあったそうです。その後米国はブロザック・カントリーとなり、オピオイドネイションへと至るのですが、それはまた別の話。

また、スペイン風邪を扱ったふたつの米国文学を紹介しています。最初は、寡作だがフォークナーと並ぶ南部文学の書き手として名高いという人の『幻の馬 幻の騎手』という小説で、日本では晶文社の文学の贈り物の一冊として邦訳されてるそうです。

Pale Horse, Pale Rider - Wikipedia

もう一冊は下記のスロヴェニア出身のルイス・アダミックという作家の人の下記で、兵営にスペイン風邪が流行して大混乱の様子が描かれているとか。速水サンは邦訳を私家版のウェブサイトで見つけたそうですが、もうそのサイトはないようです。ウェブは本当にあとかたもなく残らない(こういうものは)

Laughing in the Jungle - Wikipedia

なぜスペイン風邪が急速に忘れ去られたかについて、米国の研究一人者は、意外に死んでない(統計としてまとまったかたちで提示されてないのもある)などとともに、有名人が死んでないというのをあげています。本書でも、西洋での死者で有名人の例は出ず、日本でも島村抱月が出て来るくらいで、しかし島村抱月の死よりも、松井須磨子後追い自殺の方が有名だったりする感じだとしています。新型コロナウイルスではごく初期に志村けん岡江久美子といった名前が出て、無念の死を遂げた人のためにも、日々予防に励まねばという気にさせられたものでした。あの頃の強毒が続いていたら本当にやばかったと思います。日本のコロナカ騒動はダイヤモンド・プリンセス号を以て嚆矢としますが(武漢チャーター機帰還は別)本書も、貴重な資料として、日本海軍の軍艦矢矧の日誌をほぼ採録してます。オカに降りて感染して、逃げ場のない航海中の船内でまん延するそのスピードの速さ。ただ、インフルエンザとコロナウイルスのちがいなのか、スペイン風邪はいちどかかってしまうとけっこう免疫がつき、すでにかかって恢復した人たちがいたのでなんとか航海が続けられたとか。この辺、世界のいたるところで、過去のスペイン風邪の文献研究でコロナに立ち向かって、免疫つかないじゃんトホホになった今次事例も多々あるんだろうなあと思いました。

矢矧の普門中佐の遺体はマニラの南大寺というお寺に火葬されたとか。検索してもそのお寺は出ません。

本書は、全国各地の当時の新聞を、一県一紙を原則に、マイクロデータ保存機関を訪れプリントし、それを時間を区切った中で一旦切って、その中からデータを抽出したりトピックを集めたりと、かなり人海戦術的に情報を集約して作った本です。福島県福島民友新聞のデータ閲覧が出来なかったので紹介出来ずと書いてたり(頁166)(3.11より前の話なので別の理由からでしょう)そこはいろいろみたいですが、かなり学生や院生を動員したのかもしれないなあと思ったり、そんなことはなく、少人数でコツコツやったのかなあと想像したりしました。また、内務省衛生課の調査報告書、横浜港を擁するがゆえに他道府県に先駆けてスペイン風邪の洗礼を浴びた神奈川県の調査報告書なども参考に出来たそうです。神奈川は、第一波第二波の前のプレ段階でけっこう流行したようで、スペイン風邪がそんな猛威を振るわなかったそうです。コロナカは、どうかなあ。

頁201。こういう切り抜きがところどころにあります。神戸の記事は、マスク難民なども扱ってました。長野の、「キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!」という見出しの記事が、コロナカ伝播もかくやの、スペイン風邪ご当地到来を感じさせる記事で、感慨深かったです。諏訪郡の一集落はほぼ全滅したそうで、稗の底村かな、ちがうかな、と思いました。学校の休校は現地任せで、国の鶴のひと声ではなかったみたいです。今のインフルエンザの学級閉鎖といっしょか。

速水さんたちは、歴史人口学なので、人口統計などのデータをとるのはお手のもので、外地に関しても、台湾や朝鮮など、見れた範囲で資料をあげてます。データ入力に関しては、沼崎徳子さん、宇野澤正子さんの協力を得、慶應義塾大学図書館レファレンス担当各位の協力で海外文献を渉猟し、財団法人・二十一世紀文化学術財団の研究費交付を受けたとしてます。二十一世紀叢書の文言は後で貼ります。藤原書店編集西泰志さんの協力、前掲書共著者の小嶋美代子さんの協力も大きく、速水さんは小嶋さんに共著者記載を切望したけれど、カタく固辞され(重複)たとか。藤原書店の巻末広告はアナール派ばっかりでした。また、高橋美由紀さん、吉岡拓さん、目黒香苗さん、川合玲子さんらの協力で統計を作ったり記事を整理したりしたそうです。75歳の名誉教授が本気で指揮をとればこれだけのことが出来、さらにそれを、日本では前人未到だけれども手を付けねばならない分野の、叩き台としてそれを成したことに、素直にシャッポを脱ぎたいと思います。以上