『西成山王ホテル』(角川文庫)読了

読んだのは上の、司修表紙のもの。
司修
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8F%B8%E4%BF%AE
西成山王ホテル (角川文庫 緑 268-7)

西成山王ホテル (角川文庫 緑 268-7)

上は川井輝雄バージョン。こちらの画家の方は公式等見当たらず。

他の方のブログで黒岩重吾の西成飛田ものの紹介*1を拝見し、
それで借りてみました。その方のブログにうまくコメント出来ないのですが、
トラバOKだろうか。ダメなら削除します。

私は山谷に意識的に行ったことがないので(行ってて気づいてない場合があるので)、
横浜の寿町と西成をつい比べてしまうのですが、寿町の場合お隣りが山の手だったり、
磯子の米軍住宅だったりするので、西成に信太の駐屯地と帝塚山が隣接しているイメージで、
そういうのは関西ではあんまないですかね。
隣接なので、関内のほうまで出張しておこもさんが路上お昼寝とかしやんけど、
基本あまり外にはもれないので、不思議だなあとは思っています。
この本の書かれた当時に比べ、福祉とかがものっそいことになっているのは、
東西ドコモ日本なら同じ。大阪なら十人に一人ってよく聞きますね。
それで世の中よくなったかは分かりませんが、悪くなってはいないのかな。
社会主義の考えならよくなっていなければいけないのでしょうが、どうかな。

アマゾンのレビューにもありましたが、とにかくヒロインが死んでオチつける小説ばっかで、
まなしちなしみなし は黒岩先生の時代まだなかったんですね。
彼女は茫然と立ち尽くした、で、終わってもいいのに、
その瞬間車が突っ込んで轢かれて終わり、とか、
どんなギリシャ悲劇なのか、と思いました。あるいは近松心中もの。
日常のまま淡々と終わると純文みたくなって、現実との境界が引けないんでしょうか。
主人公が死ぬことで、この不幸な世界が虚構であると読者に説明出来る、みたいな。

むかしの言い回しとかにも注意しながら読みましたが、
サディズムを頁244サジズム
天津甘栗を頁52支那
と書いてあるくらいしか見つけられませんでした。支那栗は初めて聞きました。

横浜中華街についての公開講座を聴講に行って、
コリアンと中華街の華人はなぜ混淆しないのか質問して、
エスニック・グループは棲み分ける、という解答をもらったのも、
懐かしい思い出です。思い出した。

その日記
http://d.hatena.ne.jp/stantsiya_iriya/20140218/1392682624

頁208の、酒が止まないひもの話もアレでしたが、下記が印象的でした。

226
病院に長らく住んでいる患者は、なかなか社会に出たがらない。なぜなら寝て喰いで、囲碁や将棋だけさして生活できる病院は、先のあてのない長期患者にとっては、社会の荒波から隔離された安住の国である。長期患者の仲間たちは、お互い働かないでも大きな顔をしておれるのを確認し合って安心する。社会に出たらそうはいかない。働かなかったら生活できないし、社会の仲間から軽蔑される。

現代はまた違うんじゃいかな、と思いました。以上