『戸村飯店 青春100連発』読了

いま現在、はまぞうamazonが何故か効かないので楽天を表示します。
瀬尾まいこをもう少し読もうと借りた本。読んだのはハードカバー。
装画 小池アミイゴ 装丁 タカハシデザイン室
第一章はもともと独立した短編で、「月刊ジェイ・ノベル」2005.Aug.初出
アンソロジーと短編集に収録済。それを、加筆修正との由。
第二章以降は書き下ろし。ジャスラック許可が一曲あるようですが、
なんの曲か分かりませんでした。東京でウルフルズ聞いて関西を噛みしめる、
関西青年の描写がありますが、歌詞あったかな… あとがきはありません。
目次もありません。全六章もあるのに、目次なし。各章扉があり、
そこにタイトルのローマ字表記がありますが、
"Tomura Hanten Seisyun 100 Renpatsu"
と書かれており、セイシュンは訓令式、レンパツはヘボン式で、
なんで混在しとるんやろうと思いました。

この本、以前そのへんに落ちていたのですが、ぱらぱらめくって、
ごっつい中華料理とか特に出て来なさそうなので、読んでないかったです。
作者の本で以前読んだ『幸福な食卓』は全編共通語でしたが、
これは舞台が大阪と、関西人おもしろ〜いと囃す東京のそういうところ、
なので、めっさ関西弁出ます。何弁か知りやん、知らへんだ、多分オオサカ弁。

でも何故か炒反はやきめしと書かれずチャーハンと表記されている。
おかしいなあ。王将でWやきめし定食ばかり食べてた私としては、
いぶかるばかりです。もうせんの話ですが、焼き飯以外の表記見たのは、
チャーミングチャーハンの店だけだった記憶があります。京都ですが。
チャーハンでなく焼き飯、冷やし中華でなく冷麺(韓国朝鮮のそれとはまた別の)
中華料理でなく中国料理。こうした厳然とした違いが関東と関西には、
あったはずなので、マクドをマックと呼ぶなんてさぶいぼたつやん、
とかゆうてるおこは当然やきめしをチャーハンと呼んでもさぶいぼ立つんやろ、
と思ってましたので、この本の、チャーハン攻勢にはのけぞりました。

頁55 第二章 2
「すごいお得なお店なんだよ。きっと戸村君も気に入ると思うよ」
(中略)
 家城さんに連れられてきたのは、温かい感じが漂う木造りの小さなお店だった。
「へえ。良い感じのレストランやねえ」
 俺が褒めてみると、
「カフェだよ。カフェ」
 と、岩見さんが言った。
 どっちでもええやん。ってか、どう違うねん。と思ったけど、岩見さんはかわいいから、

(中略)
「じゃあ、日替わりランチ四つでいいよね?」
 メニューを手にする間もなく、家城さんがさっさと注文してくれた。とにかく日替りランチがすごくいいんだって、と言うのだから、間違いないのだろう。
 しばらくすると、鶏の照り焼きとひじきの煮物とゴマが振ってあるご飯とレタスときゅうりだけのサラダがのったプレートが出てきた。それに玉ねぎが少しだけ浮いたコンソメスープとドリンクがついて、千円。
「ね、すごい安いと思わない?」
 家城さんが言って、岩見さんはうなずいた。俺は驚いて、皿の中をもう一度眺めてみた。これが安いって言えるってことは、この二人はもしかして今噂のセレブなのだろうか。
「メインは煮魚とか毎日いろいろ変わるんだけど、この付け合わせがいいんだよね。切り干し大根とか、出し巻き卵とかがつくんだ。家庭的だし、ヘルシーでしょ?」
 家城さんに迫られ、俺は「ほんまに」とうなずいたけど、こんなのせいぜい七百円だ。
 戸村飯店のA定食は六百八十円だけど、もっと良い食材を使っていて、ボリュームもあるし、手も込んでいる。これは、どれも作り置きできるメニューだ。これを一皿にのせて売りつけるのだから、人件費だってかからない。
「食べて食べて。どうせ、戸村君一人暮らしだから、こういうの食べてないでしょう?」
「そやな。いただきます」
 値段は納得できないけど、確かに照り焼きや煮物は久しぶりだ。俺はさっそく口に入れた。
「どう? おいしくない?」
 岩見さんが俺の顔を覗き込んだ。
「そやなあ」
 鶏の照り焼きは口に入れた瞬間ふと臭みが残る。焼く時にみりんとしょうゆで味をつけてるだけで、下ごしらえができていない。コンソメスープはただの市販のブイヨンを溶かしただけの味だ。この量の玉ねぎでは、甘みが出るわけない。ひじきの煮物は、ひじきを戻しすぎてるのか、歯ごたえが損なわれている。レタスは調理する少し前に洗ったせいだ。苦味が出てる。野菜は直前に調理すべきだ。ただ、ドレッシングだけはいいものを使っているのか、おいしい。
 おしゃれにさえしておけばなんでもありなんだなあ、と、そこそこ繁盛してる店内を見て思った。

こういうの、東京と大阪の二項対立だけで見ると、本質を見失うかと。
ニューヨーク京都もじゅうぶんこういうとこありますよね。
町家カフェとか、おばんざいとか。名前だけじゃん、みたいな。
客も観光と学生ばっかの店だと、舌とかどないなもんでっしゃろ、
てなもんで。学生とかどんな店でも、京都っぽい店であるなら従業員に
「ごちそうさまでした、おいしかったです」
と言わねばならないとしつけられてるとしか思えない聞き分けのよさで、
味とか分からなくてもそうせんければなんねえだ、みたい京都のふいんきに、
増長したり驕ったり情報戦略だけで中身なしでのさばったりする店が、
あるだろ〜、みたいな。んでもって、京のお作法として、
食べ終わった御膳は重ねておいて、仲居はんがさげやすいようにしよし、
京都で外食するならそれがルールやで、とか、なんかいろいろあって、
誰が決めてんそんなんばっかやとそれもおかしいやろ、みたいな思いが、
頭のなかをモクモクモク〜と湧き上がってきたりします。

あとは、この本の男子は草食系とか、ライターズスクールの年上女性は、
なにかそういうつまみ食いの体験談を聞いてデルモにしたのかとか、
映画「君の名は。」の監督は、これ読んでるだろな、年上女性、カフェバイト、
そのへんうまいこと踏襲しとおる、とか。あと、全六章なのに、
100連発とか白髪三千丈やろ、とか、そういう感想があろうかと思います。
とりあえずあと二冊読みます、瀬尾まいこ。以上