『ふくろうの叫び』(河出文庫)読了

 https://images-na.ssl-images-amazon.com/images/I/81Q7k0y5t5L.jpgカバーデザイン/渋川育由

1962年、ハイスミス42歳時の作品。電話が自動でつながりません。交換手を通す。読んだのは三版。訳者あとがき有。

訳者あとがきは日本語版ウィキペディアより饒舌で、生まれる四ヶ月前に母が父のプラングマンと離婚したので養父の姓ハイスミスを名乗ることになったとか、12歳で初めて父と逢った時、ごつごつした手がそっくりで血のつながりを実感したとか、就活でヴォーグを受けた際、容姿が洗練されてないことと、それまで一度も帽子をかぶったことがないことを理由に採用されなかったとか、イギリスで「パラノイアの女王」と称えられ、フランスでパトリシア・ハイスミス賞が創設されるほど本国より欧州で人気が高いんだとか。でも欧州の目から見た彼女は明々白々なアメリカンなんだとか。あと、本編の舞台のペンシルヴァニアの田舎町について、建国以来の伝統ある由緒正しい土地柄で、生真面目なドイツ系の移民が多く、妙に道徳的で、云々と、目から鱗の説明もしてくれてます。シャーリィ・ジャクスンの『くじ』みたいな隣人たちですのうと私は読んでて思いました。誰が誰に銃を向けるかの転倒など、やーめーてー、ってな感じ。

 頁55、「現実にとけこめない感じ」主人公やほかのキャラがなぜそんな行動をとるのか、その道徳基準が理解出来ない点を、うまく説明する台詞だと思いました。

だって三十歳バツイチ理系男子が時々、疲れた時にこっそり覗き見する、一軒家に一人暮らしの23歳独身女性が、覗き見してた男が予想外(によかったので)家に招き入れてどんどん好意をよせてく展開とか、妄想宇宙以外ないじゃないですか。で、その23歳独身女性の彼氏は初めての男でマッチョで身長180cmでそれまでつきあった女がみんなほかの男に乗り換えようとしたので相手の男を殴る繰り返しで、今回も、という展開は分かるのですが、主人公が独身女性と結婚するつもりはないけど手放さないし、マッチョが襲って来た時も勝ってしまうとか、わけが分からない。終盤、読んでるほうも神経が擦り切れだした時に出て来る医者なんか、あーこれは恐怖映画の箸休めシーンなんだな、さらなる恐怖が主人公を襲ってこの医者は悲惨な結末以外用意されてないんだな、と、誰もが分かるだけに、ブレーキの壊れた蒸気機関車の如く突き進むハイスミス節に幻惑されてしまいます。

喧嘩に負けた後のマッチョの行動なんか、養老孟司が斬り捨てようとして、ホリエモンキングコング西野の本の広告で「斬り捨てろという本かと思いましたが、よいバカになれというあたたかい励ましで、ほっこりしました」(記憶だけで書いてますので違うかもしれません)というその対象そのもので、なに理屈を述べても自分の正当性を主張しても警察はニヤニヤするばかりで周章狼狽する場面とか、カタルシスを感じるべきなのでしょうが全然でした。開いた口がふさがらん。

バカとつき合うな

バカとつき合うな

 
バカの壁 (新潮新書)

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 頁81に、「五百ドル札」という単語があるのですが、「五百人民元」ならともかく「五百米ドル札」はないだろうと思いました。

ふくろうの叫び (河出文庫)

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The Cry of the Owl (English Edition)

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 以上