『バンコクの好奇心』読了

 前川健一を読もうシリーズ 造本装幀―戸田ツトム+岡孝治 写真・地図…前川健一 イラスト…PRASOPCHOK NAWAPUNPIPAT, SOMJIT SAHABANTOENGSIL.

本の紹介 バンコクの好奇心

1990年7月25日初版。上のめこん公式では11刷まで出てるそうで、読んだのは6刷。なんでそんなロングセラーなんでしょう。

バンコクの好奇心

バンコクの好奇心

 

 中扉の次に関係各位への謝辞。定住してしまうと見えない視点がある、という持論を持つ作者としては、旅行者の視点で書いたつもりらしいのですが、沈没旅行者はとっくに定住者側に振れてますって、というのが私の考え。住民視点がないと、タイの日常茶飯的な本は書けないと思う。というか、住民に取材してるから住民視点が出せるわけですが、そこに気づけるのも、長期滞在があってこそという。

いちいち突っ込みたくなる表紙の巻頭言。

バンコクを読む 嘗める 齧る・触る 
この本は、私のバンコク見聞録であり、私とバンコクの交遊録である。好奇心に操られてバンコクを歩き、立ち止まり、眺め、おもしろいと思った物事について調べる「雑学遊び」を続けてきた結果生まれた副産物である。私は枝葉末節主義者である。大通りよりも横丁や裏通りが好きだ。そして、横丁や裏通りから大通りを眺めたい。……………………………

 曰く、玉村豊男『パリ・旅の雑学ノート』山口文憲『香港・旅の雑学ノート』に続くバンコク・旅の雑学ノートを書きたかった、といえば優等生的でよかったんちゃうん、とか。あるいは、それらを超えるものを書きたかった、従来と同じレベルに満足したくなかった、でもよし。でも、そういうことじゃないんだよ、と言われそう。

枝葉末節主義者にしたって、ゴチエイの封建主義者と、どっちがおいしいの、それ、ってなもんで。大通りより横丁や裏通りが好きかどうかウェブでアンケートとったら、過半数が路地派だと思うのですが、どうか。だいたい札幌でも横浜でも、大通公園って、ほんとの大通りじゃないしね、という。中上健治はまた別の話で。

 左は、21世紀ふうにいうと、作者のアイコンでありアバター戸井十月かおまいは、と思いました。冨田竹二郎の先行著書に負うところが大きい、と、「はじめに」で書いてますが、頁284、タイのボトルウォーターといえばポラリス、のポラリスを、冨田竹二郎は水道水と言い切ってたと記憶してるのですが、本書では「地下水」と書いていて、盲目的に追従してるわけではないことが分かります。

この「はじめに」では、タイ語の表記はいい加減です、そもそもタイ文字のローマ字変換に共通ルールがないし、と注記してますが、そやから日本を国外追放されたタイ人が、自分の名前を別のアルファベット表記で申請してパスポート取りなおしたらもう日本の入管はデータベース上発見でけへん、水際入国阻止でけへんねや、というようなDisり情報をわざわざ書いたりはしません。その辺、出だしからして愛がある。

タイ文字のローマ字表記法 - Wikipedia

ただ、ここで小林信彦の『ちはやぶる奥の細道』を引き合いに出すのは、バブル臭がして、どうかと思いました。いとうせいこう著だと思ってたので、記憶が修正出来たのはよかったですが。 

序盤でじゅうような情報は、バンコクの主要交通機関が、運河の船便から、道路のヴィーコーに代わったのがいつごろか、という個所だと思います。著者が旅行を始める前の、60年代ではないかとしています。現在は地下鉄やらモノレールやらいろいろまた違うはずですので、劣化した情報も多々あると思いますが、一周廻って、だからこそ貴重な過去の記録なのかもしれません。個人的には、おみくじ棒の筒みたいな、カシャカシャ振る筒をバスの車掌がどう使っていたか思い出せなかったので、ここに詳細記してあってよかったです。お金を入れてきっぷを出して渡す構造になっているのか。序盤の記載で、現在も変わらないものとして、まず思いつくのが、映画「バッド・ジーニアス」で、カンニング用鉛筆を帯びた全受験生を会場各地に送り届ける、貸切バイクタクシー集団の場面。バイクタクシー健在。

本書はバンコクについての本なので、トゥクトゥクは一貫してトゥクトゥクと書かれ、地方ではサムローと呼ぶのでトゥクトゥクというバンコクっぽい言い方に違和感のある私のような人間は斬り捨て御免になってますが、サムローは人力三輪車だったが、それが原動機付きに代わって、名称もこれこれが正式で、と書いてあるのは交通史としてよかったと思います。

ホテルは、マレーシアホテルが、かつてあって今はないのと、執筆時点あったのと、ふたつあるように読めたのですが、あってますでしょうか。そんなものあってなくてもどうでもいいのですが、福本伸行がアカギであてたあと、ぱーっとヤワラーの沈没旅行者たち全員を招待してリーオゴしたホテルと聞いてるので、いいなあと思うです。

タイが変わったのでなく、世界が変わった例として、百貨店、デパートの地盤沈下があると思います。海外の都市滞在記にはデパートの描写がつきもので、ロンドンだったらハロッズとかあったと思いますが、今はもうそうでないので、本書で大丸とかそごうとか読んで、黙して念じます。作者は食に一家言あるわりに、タイのコーヒーはほんとうのコーヒーじゃないから飲まない方がいいとかそういう余計なこと言わず、ふつうにコーヒー飲んでますし、酒はメコンシンハーも椰子の実酒も出ません。一切出ない。バンコク屋台酒放浪記でもやればもっとあたったかも。いや、あたらないか。タニヤ放浪記。

頁187

★7 タイ人が日本料理を食べるようになると、〈良心的日本人〉は「日本の文化侵略だ」と主張しがちだが、それならばタイ人一生タイ料理だけを食べ続けれるのが正しい生き方だとでもいうのだろうか。タイ人が何を食べるかは、タイ人が決めることだ。 

 日本の洋食普及にデパートの食堂が一役買ったように、タイの和食普及にデパートの食堂が一役買った、を例証する箇所の注記。おしむらくは、この発言のソースが記載されていないこと。沈没村での口論だったんですかね。私も、長期休暇がとれる日教組教師と、大理だか麗江で口論したことあります。チベタンフリークの人が、下北沢で、チベタンに、日本でもチベット服着るべきだ、と酔って絡んで、あんたが常時キモノ着たら着てやるよ、と返した件は今でも覚えてます。

普通の人が興味を持たないこまごまとしたところに興味を覚えて細かく調査する、というのがウリの本ですが、それでも日本人であることの呪縛というのはあって、バンコク自動販売機設置状況、使用状況について調べようというのは、アメリカ人からは出て来ない発想だと思います。また、腰巻ひとつでくつろぐ男性、ひしゃくで何度も体に水をかける水浴び(外国人のシャワーよりタイ人の水浴びのほうが遥かに水を使うとか)海水浴で肌を露出しない、など、数項目の調査はすべて、すっぽんぽんで銭湯や温泉に入る日本人、が前提の、まわりくどい調査だと直感的に理解しました。

本屋について長々書いていて、邦書が買える書店が複数あるのは、駐在の数を考えても分かりますが、タイ語の本については、著者はどこまでタイ語が読めて、タイ語の本が活用出来るんだろうと思いました。ほんと、読めない文字の国で、読めない本が並んでる本屋にいると、「ブタに真珠」のことわざを思い出します。チベット文学で言っても、漢語で書いてるザシダワや阿来は知ってたですが、チベット語で書いてる作家は、星泉らのワークショップの勉誠出版の邦訳を最近読むまで知らず、しかし絶対新華書店や図書館、誰かのベッドや机の上で、文芸誌の表紙は見てたはずなんですね。しかし分からない。読めないから。

邦書は専門書店がありますと書いてますが、日本で連ドラを毎回録画してEMSで送ってタイでダビングしたビデオをバイクで駐在家庭に配りまくる商売をヤクザがやってた、とかは書いてません。基本、駐在の日本村は出て来ない。ヤクザも間接的にしか出ません。定住者からは見えないタイがある、と言ってる定住者は駐在やヤクザなのかな。今はオレオレ拠点の時代でしょうか。

電話の項目はありますが、ポケベルの時代がないのが惜しい。私はBP机には相当悩まされたクチです。交換手に数字を正しく伝えられるほどの中国語能力に達しなかったので。携帯時代になると、もうそんな労力はいらなくなる。

バーカウンターのあるようなムエタイジムでぶらぶらする邦人男女は、これは本書刊行後の事象なのか、やっぱり登場しません。酒も出ないのに、出るわけないということでしょうか。賭け事の項はありますが、「ホワイ」の語源が漢語と書いていたり、まあまあカタいです。

チャイナタウンというか、華人は、もっと書かれてもよかったと思います。バンコクに潮州人が多いのは、司馬遼太郎も書いてることですが、台湾含め東南アジアのほかに共通する、屋根付きアーケードを選択しなかったバンコクのチャイナタウンの街並みが、潮州そっくりであるとか、潮劇なんていうチャイニーズオペラのヴァージョンがあるとか、そういうことをもっと書いてほしかった。冷気茶室の語源は、ほかに任せたのか書いてません。パッポンについて、この洋書が詳しいよ、と、マッサージパーラー一号店「トーキョー・オンセン」誕生秘話なども書かれた英語の本を薦めてるので、それが茶室等も網羅してるのかも。

頁143、チキンライスというか(海南鶏飯ではなく)ケチャップ入りチャーハンを、カオパッアメリカンというとは知りませんでした。私はカノムパンを、揚げパン入りココナッツミルクタピオカ入りだと思っていたのですが、ぜんぜん外れました。パートンコーという名前は聞いたことがありますが、それが油條とは知りませんでした。頁160。頁150、ビニール袋に入れてお持ち帰り、を、本書は、「イ・プラスティック」と言ってますが、地球の歩き方では、イ・プラスティックだった気がします。で、私は、「ら」抜きタイ語ばっか身につけてしまってるので、ソイ・パスティックと覚えています。ロイカトーン。トーマンパー。コープクンカップ

以上

【後報】

タバコの項。著者が好む両切りはなかなか相手に通じないそうで、発音が悪いとずっと思ってたが、マサカそんなゴールデンバットのようなタバコを買うコン・ジープンがいるとは煙草屋的に想定外なので、それで通じてなかったそうです。それより下になると、自分で煙草の葉っぱ栽培して摘んで乾燥させてその辺の紙で巻く世界になるそうで、著者はオランダでドラムとかさんざん巻いてたから巻くのは出来るが、葉っぱまで自作は敷居が高いと書いてます。ほんとは別のもの巻いてたろーと、読む人はみんな思うと思います。諏訪に行くようになって、諏訪のコンビニは紙巻きたばこ用の紙がすごい充実してたなと思い出します。専売のたばこをこっそりどうかしてるわけはなく、さりとて別のものを巻いてるということもないと思います(棒 

要するに、著者はオランダにも行ったことがあると。

(2020/7/29)