『香港世界』"Hong Kong WORLD"(ちくま文庫)読了

カバーデザイン◎大倉真一郎 カバー装画◎Little Thunder(Agence LE MONDE)カバーフォーマット◎佐々木暁 1984筑摩書房、1986年ちくま文庫。本文注(現時点からの振り返り)は河出版の追記。口絵イラスト、カラー漫画、それに対するコメントはリトル・サンダー(門小雷)さんによる書き下ろし。

急いで読んだ本。作者が1976年から一年余香港に滞在中、『香港漫歩』の題名で月刊誌「面白半分」に掲載したエッセイに、「PLAYBOY」(と英字なので月刊かな)「旅」「翼の王国」「パスポート」などの雑誌なんだか広報誌なんだかに書いた文章を加筆修正やらなんやらして集めた本だそうです。多分私はちゃんと読んでないと思います。『香港・旅の雑学ノート』は面白かったけれど、こっちは、同じような話なのかなと、パラパラめくっただけのように思います。あとがきによると、発表はこっちが先で、あとから使いまわしたネタがあるだけなんだそうですが…

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『香港・旅の雑学ノート』も、今記憶に残っているのは、あの道路に張り出した看板類は、毎年の台風で老朽化したものが自然に整理されるというムチャな箇所で、本書も、それに類するような、例えば、映画館は喫煙おkというような箇所に、昔の話デスヨ、的注がついてます。

河出文庫版あとがきには、香港イラストレーターの漫画の細部の解説があり、タオルがやっすいタオルのご当地定番商品《祝君早安 Good morning》であることなど、知らないと見過ごす部分を教えてくれます。というか、安物タオルにもブランドがあるのか。彼女と、河出書房新社渡辺真美子さんという方への謝辞。香港蘋果日報終刊(停刊?)の日に、と書いていて、半年くらい前に、ボーツー先生の遺稿集の対談で、「〇〇な日に」と奥付に書く情緒タップリが笑い飛ばされていたのを思い出しました。ただ、それはブンケン先生もよくご承知のようで、ちくま版あとがきでも、「センチメンタリズムがやや気になる」と総括してます。

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冒頭のエッセーに「スージー・ウォンの世界」という映画が出てきて、「慕情」は見たことありましたが、こっちはなかったので、見ようと思い、1,000円DVDもしくはアマゾンプライムとかネットフリックスとかの配信で観れるだろうと思ったら、どこにもなかったです。なにそれの世界。

スージー・ウォンの世界 - Wikipedia

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"The World of Suzie Wong"のイタリア版DVDかな、輸入盤を買って英語字幕で英語音声を見るしかないみたいで、クレージー・ケン・バンドの曲名にもなってるのに、ほんとなにそれです。絶対廉価版の世界と思ったのに、中古価格吊り上げの世界。

ここで、ジャーディン・マジソン(本書ではマセソン)に注があって、ショウ・ブラザーズや〈鬼佬〉に注がなく、もちろんブラームスやドク・ホリディにも注はありませんでしたが、ここら辺が作者の考える読者層なんだなと思いました。バブル期に出されたダジャレグルメ本『空腹の王子』のような注を付ける時代は終わった。

頁81に、高浜虚子が昭和の初めに香港を訪れた折に読んだ句が載ってるのですが、「更衣」ということばが読めませんでした。検索すると、鈴木杏樹が不倫でどうこうなる前でしょうか、ラジオ番組でこの言葉を取り上げてたのが見つかりました。

頁81

 上陸し相逢ふ客や更衣  虚子

news.1242.com

当時は『衣替え』のことを『更衣』と呼んでいたそうです。ところが当時、天皇のお着替えを担当する女性のことを『更衣』と呼んでいたため、民間の人々は衣服を着替える『更衣』のことを『衣替え』と言い表すようになったそうです。

「当時」がいつなのか、読んでもよく分からないのですが、そういうことで。高浜虚子の文章はおそらく『渡仏日記』の一ヶ所で、国会図書館デジタルコレクションで読めます。

本書でも『団塊ひとりぼっち』でもブンケンサンは金子光晴に触れていて、思い入れがあるようなのですが、金子光晴の香港は、日英同盟破棄後の英領なので反日だし、いつかれたら困るからか査証は出ないし、物価は安くないしで、さんざんだったはずで、どうもブンケンサンはフィルターをとおして、ええほうに金子光晴を昇華してる気がしました。ブンケンサンの香港は、パリのエトランゼ待遇に嫌気がさしてアジアにひきこもったという直球解釈ではダメなのだろうか。

で、私は読んでいて、けっこうあちこちで、「香港はこう」と書かれると、ではほかのアジアは? と思ってしまい、例えば頁116、戦後のアングロチャイニーズスクールに源流をもつ香港人のイングリッシュネームの箇所では、テレサ・テンヴィッキー・チャオのような、英語教育を受けたわけでもないほか地域の中国人のイングリッシュネームは、あれはまたどういうこと? と思ったです。また、頁142に、日本人買物客向けに日本語が話せると給料が上がるという香港のデパート従業員の話が出ますが、ソウルだったらそれ以上に日本語が話せるやつ出てくるだろうと思いました。香港で落ち着く、やすらぐと書いてますが、いやいや緊張するだろう、ではソウルは? と思ったです。また、インバウンド全盛期に、ダイコクヤドラッグほか、新宿の各量販店従業員が、なんだったかな、《会讲中文》だったかな、中国語話せマスの名札つけてたのも思い出しました。あの人たちは今何してるか。帰ったのかな。名札の文章ちゃんと覚えておけばよかった。

ブンケンさんは、デパートのくだりは、フランスだと日本に興味を持つのはジャポニズムの関連でだが、香港は実用重視の即物的で、どっちがどうとはいえない、としてたかな。その辺、やっぱり白人国でさびしかったんだろうと勝手に思いました。

頁150、1978年の新年のスケッチ。《獵字99》という中国映画が香港映画といい勝負の大入り満員を続けたとか、大陸との往来が緩和されたとか、日本の紅白歌合戦が広東語の実況で流れるとか、米中国交回復で米華国交断絶とか、いろいろ書いてありました。

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第四部のインタビューが一番面白かったのですが、広東省から越境してきた人々のインタビューにわりと重きを置いていて、そういう人の中には、アメリカはもちろん、その後日本に来た人もいて、日本で《三大规律八项注意》をくちづさんでるのではないか、みたいな文章があり、この個所に注はありません。

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また、頁218には、香港のインド人と結婚した大陸女性が出てきます。これ、ヴィザ狙いじゃないのかなあと思いましたが、そういう注はないです。

作者はベ平連のひとと今では分かっているので、それであれば、香港に漂着したボートピープルについても書いてほしいように思いましたが、まあないです。広東人の漢族系ベトナム人が多かったから言語面ではスンナリ溶け込んだが賃金ほかガー、みたいなルポがあってもよかった。

ブンケンサンは香港で星島日報(中立)と大公報(大陸系)とサウスチャイナモーニングポスト(英字英国紙)三紙を定期購読して、さらに夕方その辺の売り子からエロ新聞含め数紙買っていたそうです。変な人。私が中国で買っていたのは足球報ほかサッカー専門紙数紙です。滞在時から遠く離れて、出版時は、大陸ではネトウヨ曰くアサヒが火をつけた教科書問題と靖国公式参拝問題のころだったと思うのですが、もちろん香港は別にでしたので、本書には一㍉も触れられていません。本書出版のタイミングで馮錦華狛犬ペンキ作戦や童増保釣上陸作戦があったりしたら、取り上げざるを得なかったでしょうが、まだなかった。

ちくま版のあとがきでの謝辞は、香港の友人たち、服部洋子と山口文太郎と百合子という人(誰か分からない)装画の堀内誠一、第三部の対話の聞き役筑摩書房藤本由香里、担当編集者菊地史彦各氏へ。この、対話というのが、なんとも珍妙で、時代なのですが、ネイティヴでもないしそこまでの事情通でもないけれど現地はこうだよと言い切らねばならないブンケンサンの飛び道具として必要だったと思います。

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もともと、あるべくしてあった都市ではない。だからいつの日か、死に絶えることはあるだろう―――英国統治下、自由でエネルギッシュな独自の発展を遂げた香港。ネオン輝く看板建築や街市マーケット、飲茶や叉焼飯ちゃあしうふぁんなど庶民の味、映画、天星小輪スター・フェリー、人々の死生観まで生き生きと描き、旅行者のバイブルとなった路上エッセイの名著。香港生れのイラストレーターLittle Thunder書下ろし漫画「郷愁」を収録。

裏表紙の煽り文句。各通販サイトや版元公式に載ってる文章(でもウェブなので振り仮名はない)です。私もコピってルビを付け足しました。

こういう本も、次々と出ているはずなので、<はてなブログ10周年特別お題「好きな◯◯10選」>を選ぶとしても、新しい本が出ない恨みはあります。

『香港・旅の雑学ノート』山口文憲

『ソウルの練習問題』関川夏央

『河童が覗いたインド』妹尾河童

『私たちのインド』辛島貴子

『タイの日常茶飯』前川健一

『謎の独立国家ソマリランド高野秀行

揚子江は今も流れている』犬養健

『ふうらい坊留学記 50年代アメリカ、破天荒な青春』ミッキー安川

青べか物語山本周五郎

こんな感じでしょうか。今十五分で考えた紀行文学10選。あ、あと、『チベットはお好き?』後藤双葉が入るかな。ではでは。以上です。