アムステルダム娼館街 (集英社): 1989|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
カバー・中渡治孝 相変わらず、毛の生え方で、できる人出来ない人が分かれてしまう髪形の青年の表紙。今この髪形の若者、いないなあ。
著者写真の撮影は押原譲という方
解説 田中りえ
田中こみまさの娘さんで、2013年逝去された方。ベタぼめです。解説によると、アマロー師は、酔ってもいつもにこにこして、人が不愉快になることはけして言わなかったとか。でももうこの段階で二つ家族があって、えせ慈善団体とずぶずぶだったのか…
『砂漠の舟』……「すばる」1986年11月号掲載。
来日して名刺外交する台湾女性の話で、彼女の父親は高砂義勇隊で、という話を、どうしてこんな分かりにくい題名にしたのか理解に苦しむ話。原住民という現在の言い方でなく、山地同胞の略、「山胞」と書いてサンパウと読ませてます。頁17。北京語と書いてますが、「サンパウ」はホントウのそり舌音"shan"をチャンと出さない音ですので、チャンと出すと台湾では一発で大陸で学んだ北京語と見破られます。
戦後の漢名が、彼女が黄小燕、父親が黄建振。で、母親が黄桂珠と書かれていて、えっ、母親同姓って、なんだよこれと思いました。台湾原住民の登場人物が、戦後の名前でも妻は夫の姓を名乗る(入り婿以外)日本式を墨守したのか、あるいはアマロー師のまちがいか、どちらだろうと思いました。
ネタの豊饒さをうまく消化出来なかったというか、来日後転売されたりとこきつかわれる人身売買のフィリピン人と、個人事業主だからこきつかおうとするとサクッと逃げる台湾人の違いが、うまいこと描写に降りてないと思いました。主人公が元船乗りのリーマンだとか、名刺外交の妙とかも、うまく降りてない気瓦斯。
そのわりに、頁39で、会社の新入社員の女性とつきあい始めながら、パーティで知り合った年上女性、飲み屋で親しくなって電話する間柄の女性もいるが、そのどれとも積極的につき合おうと思わず、一人に絞ることが出来そうもないとか、ぜんぜん筋と関係ないことを書いたりしてます。これ、作者のことなのかな。
『72時間の母国』……「すばる」1984年6月号掲載。
題名から類推して、親族探しの条件が厳しかった頃の残留孤児のトランジット滞在の話かと思ったのですが、そうではなく、戦後の混乱期に在韓華僑と結婚した邦人難民女性が白人の血の入った子を産み、それがもとで失踪し、成長した子は中華民國のパスポートで来日してオーバーステイして捕まり、無国籍なので無期限拘留になるという話。それを恋人の邦人女性の語りで書いています。設定がこまかすぎて、読者がついていけるのか分かりません。在韓華僑が朝鮮戦争でなめた苦労とか、母親は満州でロシア兵にどうこうされた(韓半島で米英兵にという可能性もあるでしょうが)ということはないかとかは書かれてません。
そもそもオーヴァーステイの長期拘留の問題や、横浜の本牧に有るという収容所の描写が、あいまいな箇所があって、うーんと思いました。フィリピン人女性に会いに来る、作者がモデルと思われる人物も出るのですが。
人権問題から、先の見えない長期拘留は21世紀でもときどきクローズアップされますが、
だから上の人は釈放されたんだろうかとか、私はいろいろ分かりません。誰か教えてほしいです。
(義理の)父親の名前が王維松と書くのですが、ワン・ウンシュンというルビには読めません。ウェイソンです。あと、日本での縁戚の華人が玉川学園前の老舗中華料理店という設定で、現在の駅前の風景から、どこか思い浮かびませんというか、今でもあればいいんでしょうけれどと思いました。
『落日』……「えん」1987年2月号掲載。
「えん」という雑誌を知りません。同じタイトルの小説を武漢日記のファンファン大佐も書いていて、感想書きかけです。
作者がモデルとおぼしき男性が、だから放浪の時期は1971年くらいでしょうか、イギリスの語学学校で同級生だったタイ人が、バンコクではボンボンで、そこにいっとき身を寄せて、ゴーゴーバーで白人にムリヤリのタイ人女性を助けたらそれが縁でつき合う、という話です。のちに出家する際に、バンコクで出家してればものごっついいいお寺でうしろだても、むかしからの友人の弟のツテがゲットできたはず、と書いてる人たちとの話ではないかと思いました。タイ語がいろいろ出ますが、頁116、ありがとうの女性形が、コックン・マー・カーと書いてあるのだけ、ホンマけ?と思いました。
頁123 ロンドン語学教室の回想
……日本人に対してわが国の人々が敵意を見せるとすれば、それは、自分たちより劣っているはずの人間が、ひょっとすると優れているのかもしれないという不安や恐れに根ざしているのだと思います。「はずの」と「かもしれない」を強調しながら二度まで言った若い女教師とは、単に馬が合わないといった次元の問題ではなかった。
こういうストーリーと関係なく、唐突に、駐在員で、主人公よりぜんぜん金回りのいい邦人が、つきあってたタイ人女性に撃たれて死ぬ事件が挿入され、男が女の性病を疑い、無実で、愛されていたと思っていたのにそのしうちとは、と女性が凶行に及んだという事件の顛末が語られます。作者の女性観を教えてもらう(よく分かりませんが)以外ここの箇所の読み方が分かりません。
『アムステルダム娼館街』……「すばる」1981年6月号掲載『あむすてるだむ』に大幅加筆修正。
すばるのデビュー作の姉妹編みたいなもので、主人公がモテる点と、1971年のアムスのヒッピー事情、東洋人バックパッカー事情の記録として読むことが出来ます。ルー大柴。「サンキュー」以外日本語以外の単語がしゃべれず旅行している大阪の職人。まだまだ帰るつもりのない沖縄人。働く場合は北欧で働けばけっこういい金になって旅行が続けられるとのこと。コペンハーゲンをコペンと略していること。カナダ人は何故か国旗をリュックやジーンズに縫い付けて旅行していて、主人公たちにはそれが不思議であること。などなど。私が考えるに、カナダ人は、イギリス人やアメリカ人やフランス語圏の他の地域と、間違われたくないから国旗をしょってるんじゃないでしょうか。
著者の作品、ぜんぶ電子版出せば仏門に入ったアマロー師も喜ぶんじゃいかと思いました。以上