『夢は翼をつけて』"A Jar of Dreams" by Yoshiko Uchida 読了

夢は翼をつけて (ひくまの出版): 2003|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

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ヨシコ・ウチダ - Wikipedia

吉田 悠紀子 - Webcat Plus

ひくまの出版 - Wikipedia

いせひでこ 絵 NDC933 237p 210mm x 150mm

日系二世の作者の代表作、リンコ三部作の一作目。前に著者の日系人強制収容を描いた前後編を読んで、その時はなぜか作者がその小説の主人公と同じ、12歳くらいで収容されたと誤解してしまい、本書巻末の訳者による解説を読んで、やっと、大学最終年次の出来事だと分かりました。カリフォルニア州バークレー大学は、日系人に好意的で、中間試験の結果をもとに、作者に大学卒業証書を送ってくれたそうです。解説には、ヨシコさんの父母の名前や経歴も明記され、三井物産サンフランシスコ支社やら、同志社大学宣教師の紹介による写真結婚といったことばが書かれています。

本書は、邦訳版の帯のあらすじだと、半分しか言えてなくて、上の英語版の表紙のように、日本で夫とこどもを亡くした母親のいもうと、おばさんが渡米してくることで、彼女の生活に新風が吹くという展開も入れないとコンプリートなあらすじにならないです。三十年代の黄禍、日系人排斥の風潮のなかで、主人公リンコは、かなりハッキリものをいうほうなのですが、それは日系人社会のなかだけで、白人寡占の学校や商店街では首をすくめて暮らしています。本国から来たおばさんは、まだそのへんの米国社会あるある、ゴッツンがあまりない。母国でも女学校であたらしい教育を受けてきた人で、やはりものおじせずにはっきりものを言います。その人の影響下、商売がたきが乱暴な手段で顧客を横取りに来たり、タイヤをぜんぶパンクさせられたり、あまつさえ夜中に侵入して番犬を射殺されたりといった無体な出来事を、無体でなく、相手が悪い、きっちりカタをつけ、はっきり主張しないとどんどんなめられるという当たり前のことを、おばさんが主人公たちに思い起こさせてくれます。

おそらく、おはなしの背景としては、その寡婦のおばさんを、在米日本人の独身中高年男性の成功者に、のちぞいとしてどうかと話があって、それが、お互いがおたがいの価値観を尊重する中で、けっきょく、むりに話をまとめず終わる、ということだと思うのですが、そういうふうに、1930年代の日系人社会の話を、ウィキペディアでは1981年、本書のコピーライトの部分だと1972年に書くというのもまた、過去のとらえなおしのひとつかもしれません。

頁10、日系人が学校で中国系と言われてからかわれる場面、たぶんチンクを、ちゃんころと訳しています。

頁45、リンコの父親は漬物でないと食事を済ませられない人だそうで(作者の父親は日本商社勤務ですが、リンコのパパは床屋をやったりランドリーを始めたり何でも修理屋を始めたりする人)「塩と干しぶどうで味つけしたキャベツのお漬物」でお茶漬け作って白飯をかっこんだりしてます。リンコファミリーはみなマイ箸を持っていて(当たり前の話ですが、英語文學なのでわざわざことわってます)父親が使う箸は、塗り箸でなく、象牙の箸です。ここはちょっと、邦人が象牙って、珍しくないかなと思いました。

ほかにも路面電車でタクワンの瓶詰からにおいがもれて、恥ずかしくなるどころか、車掌が窓を開けに来るさわぎになったことや、頁178、海苔を巻いたおむすびをピクニックで食べる時は、気兼ねなく食べられるよう、ほかのグループから少し離れた場所を探すなど、こまごました部分が、ひとつひとつ印象に残ります。そういったことに免疫がないおばさんはハッキリしているのですが、それがいつしか摩耗することを、本書では、自分が自分らしく生きられるかどうかという言い方で表現しているのではないかと思います。だから自由の国アメリカでなく、日本への帰国を選んだ。かといって、リンコの父母のように、あれこれ頭をおさえられる思いもしながらも、米国で生きるメリットも鑑み、その選択をした人々への品評もまた、ないです。くさしてはいないが、リンコじたいはアメリカ以外で生きることなんか考えられないので、父母の、「もし~でなかったら」は、考えない。原題の「ジャー」はつぼです。ラオスのジャール平原とは関係ありません。

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翻訳者の人柄もあると思いますが、ヨシコ・ウチダさんの本のせりふは、どれも生き生きとしてしていて、こころよいです。たのしい。

以上