『旅の理不尽 アジア悶絶編』宮田珠己(ちくま文庫)"The Unreasonableness of Travel: Asia's Agony Edition" by MIYATA TAMAKI〈CHIKUMA BUNKO〉読了

これもブッコフでスリランカを検索して出た本。¥330。正直、カクタサンの本やこのタマキングの人の本なら(なんならさくらサンの本も)図書館で借りればいい話なのですが、イーユン・リー『理由のない場所』をなかなか返却しなかったので(ウェブ上での延長のタイミングを間違えて延滞になってしまって、それの自己嫌悪もあって、えいやで同じ本をブッコフで買うまで1~2ヶ月延滞したまま手元に置いていた)決まりが悪く、図書館にまだ足が向きません。「あれっ、あのひとまたしれッと来て借りてるぅ~!」と陰で指をさされても平然とした鉄面皮な態度がとれる迄、もう少しかかるかな。私は常に謙虚でありたいので、「こっちは税金払っとるんじゃ、何時行こうがワシの自由じゃ、公僕に思い上がった口はきかせんテ」などと言う御仁にはなりたくないないないです。

『旅の理不尽』宮田 珠己 | 筑摩書房

表紙(部分)1998年に小学館文庫から出た際のあとがきでは、「気持ちとしては、南米激情編、ヨーロッパ風雲編、(略)などと言うふうに書き続けていきたいと思ってる」と書いてますが、ふつうに家庭を持たれたこともあってか、そういう方向のライターサンにはなりませんでした。ヨカッタヨカッタ。

名もなきサラリーマンが有給休暇を使い果たして旅をして、自腹で出版!そして彼は作家になった!

ちくま文庫帯。1995年に自費出版、で、その本を蔵前仁一サンにも送り付けて、鼻毛の表紙に目を引かれた蔵前サンが一読、抱腹絶倒して旅行人に連載させることに。素晴らしい人生ですね。あくまで前世紀世紀末の出来事なので、21世紀に生きる現代人は真似しないでください。そもそも旅行人もうないし。蔵前サンは本書小学館文庫版解説で毒を吐きまくっていて、「アジアの純真」的なものをマジレスするなとえんえん書いてます。そのとおりですが、井上陽水のようにわけの分からない歌詞にする方がグッドセンス。蔵前サンは宮田サンが自費出版バージョンでベトナムの首都をまちがえたことも(ほっとくと小学館文庫で修正されてなかったことになってしまうので)指摘していて、後述するように宮田サンは理系だから仕方ないと思いました(上から目線)

真面目なサラリーマンだった著者が、有給休暇を使い果たして旅したアジア各地の脱力系エピソード満載の爆笑体験記。若き宮田青年は、数々の失態を繰り返しながら旅の醍醐味と人生のほろ苦さを学んでゆく。誰もが経験するような旅の日常を、誰も追随できない独特の感性と文体で綴る鮮烈な処女作! エッセイスト・タマキングの底力を感じる一冊。 解説 蔵前仁一

2010年5月に出たちくま文庫カバー裏の内容紹介。15年経っても古びないと蔵前仁一サンがちくま文庫解説で書いてるのはホントウです。それは逆にいうと、如何に相対的にフツーのバックパッカーが衰退していったか、ということだと思います。「Gダイアリー」が下川裕治サンと犬猿の仲の前川健一サンを駆逐したように(うそです)安宿ドミトリーでも「一軍」「二軍」概念が発生し、栃木県の真岡は「まおか」なのに「まおす」は「もうす」と発音するから真岡は「もうか」と読むのが正しいみたいなスクールカースト現象が大量発生し、そうやって邦人の分断が進む中、後発バックパッカーの韓国人中国人が世界各地に進出、世界中どこに行っても安宿で日本軍の戦争犯罪について論争をふっかけられる事態が頻発、急速に邦人は内向きになって、シギリヤでゲストハウスを営むなどの例外を除いて、日本人はドメスな国境の内側に引き籠ってしまった。インバウンド向けにアパホテルが小冊子を置くのがせいいっぱい。

私は、名もない一介の素敵なサラリーマンに過ぎない。この本は私が夏期休暇・・・のほか、会社員として当然の権利である有給休暇を取得したり、その他当然じゃない権利もいろいろ取得したりして出掛けた旅の記録である。(本文より)

帯裏。経歴だけ見ていると、阪大工学部なのでタ、タマキングのひとは東野圭吾サンとおんなしじゃん、ベストセラー作家の要素は既に満たしていたのか雷電、と思ったのですが、理系なのにバブル期入社なせいかリクルートに入社していて、ここは自分探しに成功して会社を辞める社員が多いですから、ルワンダタイ料理店を開いた女性*1同様、タマキングの人も会社をやめたんだなと思いました。むしろ、やめるまでよくこんなあちこち旅行に行けたなと、寛大な会社とやってなくてもやってるフリだけで通用したバブル期の仕事ぶりに敬慕の情を抱くしだいです。

宮田珠己 - Wikipedia

表紙(部分)鼻毛以外にもこういうイラストが各地にあります。カバーデザイン 神田昇和 本文&カバーイラスト 宮田珠己 ここに関しては、東大で現代中国文学の泰斗だった藤井省三サンも学生時代の旅行記で意味不明のイラストを多数載せてますので、清く正しく美しい日本の二軍バックパッカーの伝統とも申せるかしれません。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

私はたぶん宮田サンの本は『ふしぎ盆栽ホンノンボ』くらいしか読んでないです。高野秀行サン提唱のエンタメノンフの一環で、高野サンの書評本から知ったんじゃいかな。で、その時点では宮田さんを「宮田たまみ」という名前の「カワイイモノが好きな女子」だと思い込んでいて、「たまみ」でなく「たまき」と読む男性と知ってからは、急速に読書欲をなくしました。學刈也。どうりでタマキングなわけだ。なにがどうタマキングなのかさっぱりさっぱりだったのに。

てっきり「たまみ」という名前の、かわいいもの、ふしぎなものがすきな女子だと思っていたのに、鼻毛が好きな野郎なんだもんなあ… 『素晴らしきラジオ体操』という本も読んで、それでラジオ体操に行くきっかけになったのですが、宮田サンの本ではないかったです。高橋秀実という人の本だった。ラジオ体操の本は電子版ないのかな?ホンノンボ貼ります。

で、同じスリランカというジャンルでもスリランカについて書かれた本の内容は千差万別、百花斉放百家争鳴なのはカクタみつよさんの本の感想で書きました。みんなバラバラ。で、宮田サンのは下記です。テーマは宝石なのか紅茶なのか。

頁42 まずはインド人から悔い改めよ(スリランカ・インド)

 高層ホテルの隣に、安っぽいけどでかい金色の仏像があり、面白いので見ていた。すると、口のきけない若い男性が近寄って来て、紙とカードを見せるのである。紙には『わたしたちは身体障害者養護施設の者です。このたび施設建て替えのため、寄付を募っております』と書いてあり、カードは身体障害者養護施設ふう身分証明書のおうなものだった。

 そこで私は、ふむ、それはそれで(略)ここはいっちょ百ルピーでも払おうとしたのである。

 すると、その男性は、(略)千ルピー払うことにした。やはり世のため人のためである。我ながらあっぱれなのである。

 さて仏像を離れ、海の方へ歩いて行くと、二人連れの男性がやって来た。一人はテキ屋ふう、もう一人はもの静かな哲学者ふうで、テキ屋がカードのようなものを見せていった。

「この男の人は、身体障害者で口がきけないのである。この人の養護施設建て替えに金がいるので、ぜひ(略)」

「そうですか、実はさっき仏像のところで、あなたの(略)に寄付してきたところです」

「それは違う施設で(略)」

「そうですか、わかりました。いくらでしょうか」

「五千ルピーです」

「そんな金はないので千ルピーで勘弁してください」

「わかりました」

(略)

 そこへおばさんが近寄って来た。おばさん曰く。

「私は恵まれない子供たちの養護施設で働いています。実はその施設を建て替えることになり……」

「はあ」

「千ルピーでも結構ですので、ご寄付いただけないでしょうか」

(略)

「本当は、みなさんお一人五千ルピーくらいはご寄付(略)」

正解は、ドネーション(寄付)大国スリランカ(©東條さち子サン)でした。蔵前仁一さんは解説でこう評しています。

頁255 解説

(略)これらのことは本当によく起きることであり、旅行者ならばこういった体験のひとつやふたつはあるものなのである。

 しかし、スリランカで二千ルピーも払った旅行者はなかなかいないだろう。(略)多くの読者に笑っていただきたいものである。

上記はコロンボの話。その後宮田サンはあちこち回り、アヌラーダブラ、否ポロンナルワでエリザベス女王が泊まったという部屋に泊まります。スゴイデスネ。前にも書いたかもしれませんが、上海の錦江飯店旧館のスイートルームに田中角栄が泊まった部屋があって、天安門直後でも一泊三十万日元ほどでしたので私は泊まりませんでしたが、地球の歩き方にも載ってることでしたので、泊まってみた人もいるんじゃいかと思いますが、まだそういうルポは読んだことがないです。当時すでに新館があって、その後、さらに新錦江という高層ホテルも隣に建ったので、取り壊されたと思うのですが、知らない。旧館の中に入った話は前にも書きましたが、だいたい中国都市部のホテルの「旧館」的なところにはよく分からないコンス(公司)の事務所がワンサカ入っていて、私は廊下でバッタリ出っくわした帮会みたいなオッサンから生きた上海語で「サパニン!」と言われました。

なんというか。「旅は人生であるとか、試練であるとか、出会いとか、めぐり会いとか、メグ・ライアンであるとか」と「はじめに」で書いた作者らしい。宮田サンは庵野と同世代だけあって、「一文字隼人はブラジルに飛んだが、私は五年前トルコへ飛んだ」「ベトナムはビラ星人のようだ」「キングジョーを追ってウルトラ警備隊は西へ向かったが、私はウルムチ行きの列車で西へ向かっていた」などの表現が散見されます。飛んでイスタンブールなら庄野真代なのに、マヨのマの字も出さず、一文字隼人(二代目仮面ライダー)とブラジルになぞらえる。体操の内村航平のライバル(初代)と目された中国選手は武漢出身で、中国だとその世代が放送時期から奥特曼世代ということになるようですが(ウルトラマンと聖闘士聖矢を同時に視聴という狂った時空間世代)日本のウルトラマン世代はタマキング世代(=庵野

死海を見に行ったということはイスラエルの入国スタンプを押されたということであり、パスポートでなく入国カードかなんかに押してもらうという当時のバックパッカーの知恵を宮田サンも使ったようですが、出入国の空白期間を計算されて宮田さんも以後ヨルダンやエジプトなどをのぞいて、アラブ入国禁止になってしまったと思います。そうなると特にガザとかに思い入れがなくなるので、イスラエルの思うツボ。ぜんぜん関係ないですが、旅行人の遊星旅社という掲示板はバックパッカー同士のネットのマウントの取り合いやらなんやらで破局したはず。まあ世の中そんなもんかなと。

頁15 そんなんじゃだめだ熊男(トルコ)

(略)妹がヌリフェルといって十七歳。(略)

 ヌリフェルが一緒に学校へ行こうと誘うので、これはこれはなかなか友好的な旅になりそうではないか、「ニイハオ、トルコの学生のみなさん、私は日本から来たムスタファです、シェイシェイ」となぜか中国語で予行練習しつつ、教室のヌリフェルの隣の席に座った。

(後略)

トルコ人親日なのにそんなことしちゃだめですぅ」と時々ボソッとクルド語、否トルコ語でデレるヌリフェルさんガーということになるかならないか。なんでミヤタなのにムスタファなのかは聞かない方がいいです。そういう本だから。

頁18 そんなんじゃだめだ熊男(トルコ)

「俺たちはムスリムだから、結婚前にトゥクトゥクできないのだ」と残念そうだった。

「どうしてもトゥクトゥクしたくなったら、クシャダスへ行って、金を出してやるのだ」とシズギンは言って「でも、あそこの女は頭まで入ってしまうんだ」と謎なことを言った。

「どうだ、お前の金でクシャダスに行かないか」

シズギンったら不潔よっ、みたいな展開にはなりませんが、一軍男子にはウケなさそうな文体かもしれません。こうしてバックパッカーは衰退した。

頁109によるとミヤタさんはシュノーケリングファンだそうで、スキューバダイビングがこれだけ流行っているのにシュノーケリングが日陰のそんざいなのは我慢ならんと書いてます。だって何も知らない初心者でもその場でちょっとシュノーケル借りれば安全に出来るんだから(私もタイのコサムイの近くでやった)広めるも広まらないもだと思いましたが、これが噂の「ネタにマジレスカコワルイ」なのでしょう。

頁166 死海と肛門の秘密(イスラエル

 街では、巡回するユダヤ人兵士に向け、時折どこからか石が飛んでくることがある。公共施設は学校からバスに至るまでユダヤとアラブで厳然と分けられていて、アラブ人の店はインティファーダ(蜂起/抵抗)といってすべて閉まっている。それでは食っていけないではないかと思うが、開ければ同胞から報復されるそうである。

ホラ、こうして現地に行ってしまうと、必ずしもパレスチナ連帯マンセーにならないでしょう、だからイスラエルに行かせてはいけないんです、イスラエルの入国スタンプがあったらオールアラブで拒否るようにして、イスラエルに行かせないようにしないと。ということをここを読んで思ったわけではありません。

本書は海外旅行ばかり書いてあるわけでなく、冬の八ヶ岳雪山登山初体験の記録が頁172に出ます。リクルート登山部にでも入ったのかなあ。何年か雪山登山をした挙句、クロカンスキーに転向したとか。

頁184 不幸の小包(ベトナム

 それでもビーチに出ると、知らない白人観光客に写真を撮られたりして、(略)うれしい誤算と言えよう。それは現地人と間違われて被写体にされただけではないか、と言う日本人がいたが、妬んでいたと思われる。

ロンリープラネットのクチのベトコン塹壕に映ってる女性が日本人観光客だったのは有名な話で、上記はそれを踏まえたものと思われます。本書の白眉、極北は最後の「花畑パカパカ王子」(シルクロード)で、香港人バックパッカーの集団旅行にくっついてったら、その中の一人にモーレツにアタックされるという話。宮田さんは後日日本で年収28万円で結婚しますが、相手はこの香港人ではないようです。よく分かりませんが。恵文と書いてホイウェンと読まずウェイマンと読む。広東語だから。以上