庄野護サン『スリランカ学の冒険』*1で、現地に行くなら現地関係の本を百冊嫁と提唱されており、私はスリランカに行く予定はまったくないのですが、とりあえず読み始めてこれで59冊目。まだまだ先は長いです。献血百回も達成出来なかったし(成分献血と度重なる「猫に咬まれると三ヶ月献血出来ない」ルールで間隔があきまくった果てに、MGUS(エムガス)になってアイナ・ジ・エンド)どうなるものか。ブッコフで¥550で買いました。
届く前は気づかなかったのですが、法蔵館の本で、法蔵館書籍に共通する装丁です。デザイン・DTP 赤崎正一。京都駅を降りてしばらく、仏具屋さんや仏教書籍関連書店が集まるあたりを歩いてみるのも亦楽し。駅のバスターミナルでインバウンドにもまれるよりよろしいようなたのしいような。履き物屋さんが並ぶ先をどう行ったかな。北上した気がします。南下するとウトロ。京都は本願寺派が強くて、五条を越えてそこまで行くと、爆弾三勇士の碑があって、そこを抜けると清水でまたインバウンドまみれになるので、敵前回頭栗田艦隊が吉。中央郵便局の近くでラーメン食べて、耳塚でも見て。そうなると三十三間堂ガー。

帯。

上は帯裏。右はカバーをとった表紙。サッセールワだかアウカナだかの仏像の衣(ころも)部分の拡大写真。検索すると、何故かこのアウカナ仏像は栃木県鹿沼市の清林寺というお寺が昭和63年(1988年)にスリランカ政府から型取りをすすめられて型をとってコピーを安置しており、スリランカ迄行かなくともJR日光線鹿沼駅から徒歩十五分で拝謁することが可能なのですが、その十五分がしんどいという人もいるかもしれず、成田からモルディブ行きエアラインでバンダラナイケ国際空港に飛んで、そこから車で四時間くらい走ってアウカナに行った方がいいと思う人も少なくないのかもしれません。
もともとは師匠の中村晋也サンが奈良の薬師寺に釈迦十大弟子像の奉納を発願した頃、絵ハガキで見たスリランカ僧侶の法衣の着こなしが洒落ていたので、現地に行ってみて参考にしようということで2000年に渡航。現地の仏像の顔立ちがガンダーラ仏とかインド・チベットの仏像とか中国の仏像とか百済新羅の渡来仏とか日本の仏像とか東南アジアの仏像とかとは違ってまんまるのパンパンだったので、同行の弟子、楠元サンに「チミィ、しとつこれを研究してみたまぃぃ」と行って、スキームがスタートしたんだとか。
スリランカの里親制度、養子縁組の本でも北関東のお寺は出て来たように思います。それなりに現地仏教と交流があるのでしょう。本書には鹿沼は出ません。たぶん楠元サンは鹿沼にコピーがあることも知らないと思う。鹿沼のお寺のコピーは鹿沼市観光協会のサイトより、個人の方のブログの方が上位に出ます。アウカナとサッセールワを現地訪問した邦人僧侶のしとのブログに、楠元サンの本は出ます。そのブログのひとは中村尚志サンの灌漑史*2にも深く感銘を受けており、ウェットゾーン / ドライゾーンの区分をスリランカ現地でも意識しながら旅行しています。実は結構そういう人はめずらしい。東條サンのマンガを読んだあたりで強く思った、現地とつながりのある邦人は少なくないが、みなアプローチがちがっていて、お互い交流がなくバラバラっぽい、という認識は本書でも繰り返されました。
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スリランカというと中国の債務の罠が有名ですが、頁71に、開発される前のハンバントータの風景があります。「インドネシアから渡って来たイスラム教徒の多い町」だったとか。要するにマレー系の漁労関係者が多い町。夜、「インド洋は波の音だけ」とか、朝、「漁師の舟がちらほらと海に漂っている。勤勉な生活の一端」とか、裸足になって朝砂浜を歩いていると鳥の足跡や蛇の足跡ならぬ腹跡があった、などの描写があります。『イスル・ソヤ』*3で読んだのか庄野護サンの本で読んだのか『南の島のカレーライス』*4で読んだのか忘れましたが、現地の人は浜辺で大の用足しをするので歩く時はご用心、の場面はないです。
ハンバントータからコロンボ迄海岸線に沿ってドライブし、途中ワリガマというところの摩崖仏を見物します。岩をくりぬいた十字の形の龕(ずし。=厨子)に入っている仏像で、寺院があるわけではなく、20世紀初頭のクリスチャンのお墓と菩提樹があり、落ち葉を掃く信心深い人がいたとか。一部のスリランカの本にやたら床や落ち葉を掃く描写があるのに、最近気づきました。『食べる。』にもあった気がしますし、東條さち子サンのマンガ*5でも嫉妬に狂ったビジネスパートナーの妻がやたら掃き掃除をして賃金を要求する場面があった。日本で販売されてる棕櫚ほうきは、棕櫚の部分はスリランカから輸入して、ほかでこさえた柄の部分と組み合わせて商品化してるので、スリランカは隠れた掃き掃除大国なのかもしれません。そういえばという感じで、気が付きました。
中国に関しては、アヌラーダプラの北にある、アバヤギリのストゥーパが大乗仏教で、法顕や玄奘も書籍に記していたとかいないとかなので、その縁もあってか、1992年に中国が援助してアバヤギリ博物館を建てたそうです。グーグルによると、入館料大人30米ドル、こども15米ドル。外国人用トイレあり。
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ここはけっこう北の方で、内戦下のタミル人難民キャンプを描いた『ハレルヤ村の漁師たち』に出てくるマドゥーの聖母教会まで車で二時間かかりません。途中のタンティリマレー(グーグルのカタカナ訳はタンティリメール)というところの涅槃仏が本書最北の訪問地。本書には載ってませんが、グーグルマップでは、飛鳥の石舞台みたいな巨石ナントカがあります。シンハラ人=アーリア人説に沿って、「ドルメンです、ストーンジヘンジです」と云ってもいいのかというと、ブリテン島に巨石建造物を造ったケルト人はアングロサクソンじゃないからノーという。本書によると、タンティリマレーまでも2002年2月の和平協定までは武装ゲリラが出没するので通行不可だったとか。ただ、楠元サン一行の訪問時点では、田畑も荒れておらず、溜池からふつうに水を引いて耕作していたようです。
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スリランカの本は、①大地の恵みが豊富な実りをもたらしてる国。②紅茶のプランテーションはインドから移植したタミル人頼み、主食のコメすらインドから輸入する始末。アーリア人の子孫を自称して驕り高ぶるシンハラ人の怠け者ぶりは特筆に値する。③内戦で深刻に国土が荒廃し、原野に還った耕作放棄地は枚挙に暇がない。の、三つの視点が書籍によってばらばらに記載され、それは書いた人の訪問時期にもよるようです。本書は①の視点。②は、東條サンとかの現代の視点かなぁ… ③は、もちろん内戦が深刻だった時期のもの。下記などがそう。
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話を戻すと、スリランカといえばテラワーダ仏教とばかり思っていたので、一時期大乗仏教が勃興していたとは意外でした。楠元サンも同じ感想を持ったようです。考えてみれば、法顕や玄奘が渡印した頃は大乗だったわけで、それが東遷して漢訳仏教マンセー、パーリ語仏典の貝葉経のみならず、サンスクリットの経典すら、広い中国本土十三省の何処を探しても見つかりゃーせんわ(本当の話です。仏教の七不思議を選定したら必ず入ると思う)になった頃は中国ベトナム朝鮮日本が大乗、チベットも大乗だが顕教でなく密教、インドからスリランカは大乗やめて、南伝仏教はテラワーダになりましたという。これも不思議です。宗教としてヒンディーやムスリムとの対比に大乗は耐えられなかったのかもしれない。
楠元サンが本書を書いた2004年はもう「小乗仏教」という言い方をせず、「上座部仏教」という言い換えが進んでいて、楠元サンは小乗と書いてカッコで上座部の説明をしています。その後、上座部だと今度はあちらが上みたいやないけ、ウチら大乗は下座なん? ということで、テラワーダ仏教というカタカナが浸透したわけですが、それにしても不思議なのは、「大乗」「小乗」は漢字ですから、テラワーダに帰依した華人や、漢訳仏典に通じたテラワーダ僧が多くなければ、それほど問題にならないのではないと思うのですが、そもそものサンスクリットで、大乗の意味のマハーヤーナという言い方と小乗の意味のヒーナヤーナという言い方があるので、そこでゴッツンするのだと分かりました。
で、テラワーダは漢訳すると上座部で、漢字にすると、うっとなるから、訳さず音で呼ぶ分にはかめへんでテラワーダと呼ぶ風潮が広まったようです。ようするに仏教関係者は外部が思うより頻繁かつ活発に国際交流をしてるという。創価学会は例の法華経を外国人にも日本語で音読させてたと聞いたことがありますが、今でもそうなのかなあ。それが、仏教のいち宗派として海外に思うように広まらなかった大きな理由の一つのようにも思います。漢字なんだから、台湾でも中国でも北京語で読んじゃうじゃんね、ふつう。インド亜大陸だったら直接サンスクリットでやったほうがいいだろうし。
下は、中に挟まってた法蔵館2004年7月の出版案内。


タイトルと作者名のグーグルシンハラ語訳:"ශ්රී ලංකාවේ යෝධ බුදුන්ගේ අභිරහස: කවුද, කවදාද සහ ඇයි" කයෝකෝ කුසුමොටෝ විසිනි
タイトルと作者名のグーグルタミル語訳:"இலங்கையின் மாபெரும் புத்தரின் மர்மம்: யார், எப்போது, ஏன்" - கயோகோ குசுமோட்டோ
以上です。いや、ほとんど内容の感想とメモを書いてないでした。以下後報です。どっとはらい。
【後報】
頁52
(略)師匠が天井画を見ながらぽつんと言った。
「色とりどりの花が咲き、鳥は妙なる声で鳴き、豊かに稔る作物に囲まれて不自由なく暮らす。これは暖かい国の人間が考える極楽だ。北極圏の人たちはどういう極楽を想像するのかね」と。
頁52のコラムで、楠元サンは仏像の出現について、定説だったガンダーラ起源説に対するシンハラ人らの異説を紹介しています。ガンダーラ起源説は、それまで人を超えた存在として具象で表さず、転輪などの抽象で表現していたブッダを、アレキサンダー大王の東征に伴って移住したヘレニズム時代のギリシャ人たちがギリシャ彫刻の技法を以て具象化したことから始まった。つまり、東西文化の出会いと融合がブッダの具象化を生んだのだ、とする説。とても有名なので、吉野源三郎『君たちはどう生きるか』にも出てくるくらいです。それに対し、同時多発発生説では、ギリシャ人の植民都市がないところでも、大乗仏教の発生と伝播につれ、出家しない在家信者の具体的な礼拝対象として、仏舎利を収めたストゥーパや菩提樹、仏足石だけでない具体的な何かを必要としたというもの。さらにスリランカで五世紀に仏教僧によって記された歴史書に、紀元前二世紀の黄金佛の記載があることから、「現地のナショナリスト学者の説」ではガンダーラ以前からスリランカに仏像はあった、ということになっているとか。流石シンハラ人。
頁80ではボロンナルワのガル・ヴィハーラの仏像はなんでこんな丸いんだという雑談をしています。大坐像、涅槃像、立像、窟内坐像(本書には写真がありますが画像検索ではあんまり出ません)みんな丸い。近所のトルヴィラ仏像とワタダーゲ仏の写真も比較対象として載せてますが、私から見るとそれも丸いだよ。


スリランカ人に聞くとスリランカ女性の顔デスヨとそっけない回答が返ってくるので、ホテルの部屋でテレビのアナウンサーの顔を見ながら、そうかなあとまじめに考えたりしたそうです。

