第十話「芸者」ගේෂා "GEISHA"
ダンミカサンが京都のお茶屋に招待される話。ダンミカサンもスリランカ人ですので、エリック・サラッチャンドラサンが1965年くらいに日本を舞台に発表した、戦後直後もしくは50年代、戦勝国英連邦から訪れたシンハラ人画家と男女比メチャクチャ状態の邦人女性の悲恋を描いたベストセラー『亡き人 / お命日』*1を読んでおり、当該小説は途中で東京を離れた画家が京都に移り住んで、ガイジン向けインチキゲイシャガールとプロスティテュートの関係になるが、あまりに金を無心されるので逃げたりストーキングしようとしてシラを切られたりします。ので、ある程度の知識はあったと思われます。この小説、電話一本でつなぎをつけるガイジン向けゲイシャ、ステッキガールみたいなものだと思うんですが、彼女たちはほんものの芸者ではないとはっきり書いている。
シンハラ語版のウィキペディアに芸者の項目はないですが、タミル語版にはあります。サラッチャンドラサンを私は、英語名エリックで覚えていましたが、ダンミカサンはエディリウィーラのシンハラ語名で書いており、ウィキペディアを見返したら、英語版も"Ediriweera" になっていた。この小説が悲恋に終わるのは、ひとえにシンハラ人社会の「仏教なのにカーストがある」歪みが原因と私は勝手に思ってますが、小説では明記されません。

ダンミカサンの幼少期、スリランカではこういうラベルの鮭の缶詰が売られていて、アーティストの才能の萌芽からか、ダンミカサンはラベルをそうっときれいに剥がして芸者の絵を切り抜き、ノートの裏に貼っていたとか。
週刊現代の記事によると、ゲイシャブランドはコンビーフと同じ野崎という会社が展開とのこと。
「GEISHA缶詰のグローバル展開」
https://www.maff.go.jp/j/kokusai/kokkyo/food_value_chain/pdf/1_kawasyou.pdf
何故か農林水産省公式に、上の週刊現代の記事にも出てくる川商フーズのプレゼン資料パワポがそのまま載ってます。なんでだろ。
こういうことではないと思います。
ゲイシャブランド公式を見ると会社の沿革が載っていて、広島にあった野崎という会社の海外向けブランドとして戦前にスタートし、戦中は敵性企業として迫害され、戦後徐々に活動再開を認められたそうです。米国の日系人ヒトハタ企業かと思ったですが、ちがった。
1943
とりあげられたブランド名をわざわざおぜぜ払って使わせてもらってたとか、すごいですね。ネトウヨのしとから「親米のポチ」呼ばわりされそう。でもこれって、トラソプサンの「ディール」とも通じるやりかたですよね。まさにMAGAとは、この時代、"Old days, but good days"に回帰しようという試みなのかもしれません。こんなこと出来るのは日本相手だけのような気もしますが… 日本人は我慢強い。公的な賄賂として使用料を払ってたのかもしれませんが、その以心伝心が通じてブランドが返ってきたのは、1963年と大幅に遅かったですしね。朝鮮戦争も神武景気もとうにおわっとおるがな、世はベトナム戦争前夜、翌年1964年8月には東京湾事件が起こってます。イラン人に同じことをしても、結果は違うヨ。ダッシュボードにピザも載るヨ。
1989
これ、天安門事件の年じゃナイデスカ。西側から経済制裁食らった中国の迂回貿易にゲイシャブランドもひとやく買ったってことなんだなと。
SKINLESS BONELESS PINK SALMON – Geisha Brand
ダンミカサンが書いてるのは鮭の缶詰でしたが、主力商品ではないかったようで、むかしのゲイシャブランド缶詰画像にもあまり鮭は登場しません。今は紅鮭の骨なし皮なしのパックがラインナップに見えます。私が東南アジア発祥と思っていた、カンボジアのバゲットサンドの具にもなっているイワシのトマト煮は、ゲイシャブランドのアフリカ向け主力商品でもあって、サハラ以南の人びとの味覚を変えるほど浸透したそうです。
まあそういうことでダンミカサンはムラカミサンという紹介者の助力で生まれて初めて、最初で最後の芸者遊びをするのですが、シンハラ語だからこれくらい書いてもいいやってのがあったのが、浮岳サンが邦訳して出してしまって、私は読んで、『舞妓さんちのまかないさん』に描いてないことがいっぱいあるなぁ、と… 電子版があってもそれほど京都のくろうと筋の目に留まることはないでしょう。この感想も過疎ブログだし、振込詐欺ではてな存続事態危機だし。
みなが指摘してるように、スレッズもレディットも、舊えっくすのついったですら、同時翻訳でユーザの使用言語表示をしてくる時代なので、なかなかこれからは、この言語で書いたから分からへんやろ的なことは、デジタルでは「甘いな」になるんだろうなと。
頁98
(略)舞妓でいる期間は少しの給料がでるが、夜明け近くまで様々な仕事をこなさなければならない。先輩の芸者たちが全員帰るまで帰ることができないという。さらに声がかかったところには行かなければならない。非常に高価な着物や髪飾りも自分で負担しなければならない。(略)独特の形に結った髪を洗うことができるのはせいぜい一週間に一回だけだそうだ。また、日焼けした肌はお客に好まれないので、日にあたらないようにしなければならない。(後略)
15歳中卒で仕込み開始、2年後舞妓デビュー、3年舞妓やったら芸妓さん。10年芸妓やったら置屋が始められる。と、ダンミカサンは書いてます。「つく恵」という舞妓さんがダンミカサンについて、何のお茶屋遊びをするでなし、ダンミカサンが盃につがれたお酒を飲んで、盃を洗面器かなんかの水で洗って、今度は舞妓さんがダンミカサンにお酒をついでもらって飲む、という繰り返しをします。それしかしない。間接キッスやん、と思うようなおぼこいジジイがメインの客なんかなあ… 虫歯菌とかうつらんよう気ぃつけや~。彼女が飲酒可能年齢かどうかは知らない。『舞妓さんちのまかないさん』の舞妓ちゃんは飲酒場面ないですよね。飲酒は18歳でなく20歳だからな~。
「つく恵」サンは藤沢出身だそうで、『舞妓さんちのまかないさん』の「おかあさん」といっしょやん、とクラクラしました。現実に置屋稼業を始めて、物語の誰かの具体的なモデルになったんでしょうか。いやでも時系列が合わない。
もうひとり、「わかこ」という酒飲みの舌を持つがゆえに、夜の街をさまよう… わけではない舞妓サンが出ます。水揚げを迎える舞妓サンで、帯も簪も花飾りもすべて金色で、その費用はひとりの客が持つとちゃんとダンミカサンも書いてます。そして、「わかこ」サンはお歯黒をしている。水揚げ期間の二週間、「わかこ」サンは置屋にもお茶屋にもおらず、二週間後、彼女は晴れて自由な芸妓としてひとりだちするんだとか。彼女は盃返杯のほかに、舞を踊り、芸妓サンが三味線を弾きます。
その次に、「ミツ」という芸妓サンが来て、盃の相手をし、舞を舞います。それでお茶屋遊びはおしまい。私はこういうのを読むと、ベンガル小説の傑作、『ジョルシャゴル』を思い出すのですが、そういう展開にはなりません。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
装幀者未記載。冒頭に建築家隈研吾サンによる、スリランカが生んだ前世紀屈指の建築家ジェフリー・バワをからめた序文。巻末に、本書を訳した、野口忠司センセイの弟子筋にあたる川崎の僧侶の方の一文とあとがき。本書は各所にニマル・ジャヤシャーンタ(Mr.Nimal Jayashantha)というスリランカのイラストレーターによるイラストがあるのですが、この話にはなし。
下記は著者の英語版ウィキペディア。
Dhammika Ganganath Dissanayake - Wikipedia




シンハラ語版パニワラル表紙一覧。
パニワラルはスリランカの揚げ菓子なのですが、ウィキペディアではインドのジャレビというお菓子のウィキペディアしかなく、シンハラ語のウィキペディアにパニワラルやジャレビはありません。
以上
