最近いろんな人がこの原題併記のワザを駆使するようになったようで(別に私が始めたわけじゃないですが、でも私は自分で勝手に考えてやってるので、そういう人が多くてシンクロニシティなんだろうと思います)原題の意味が「通路にて」であることなどぱっと分かって樂ちんです。
http://atsuginoeigakan-kiki.com/movies/in-den-gangen/
ベルリンの壁が崩壊された30年前の1989年、東西再統一によって祖国を喪失し、時代に置き去りにされた人々が働く旧東ドイツの地方都市にある大型スーパーマーケットで「在庫管理担当」を任された口下手な青年は、父親ほど歳が離れた「飲料担当」からフォークリフトの運転や人生哲学を学び、「お菓子担当」の人妻に恋心を抱くようになる。かけがえのない愛おしき人々。仲間と働く、ささやかで優しい時間。ままならない人生にも美しい瞬間がある。「G線上のアリア」が誘う夜の時間。祝福のように降りてくる優しい灯り。アキ・カウリスマキ作品の香り漂う夜間労働者たちの日常。孤独の中で生きている市井の人々のさりげない一言一言が心に響きわたる。慎ましくも、幸せ…。
アキ・カウリマスキの香りが漂うかどうか分かりませんが、確かに気楽に見れる映画でした。なので途中、マリオンのパートで少し寝てしまい、なんでシャワールームがそんな簡単に覗けるのか、このストーカーっぷり大丈夫かと、目覚めて思いました。
スーパーの映画というと、フランス映画で「ティエリ・トグルドーの憂鬱」を見ましたが、そちらは警備員で、若い嫁と障がいをもつ子どもの家族がいます。伊丹十三も「スーパーの女」を作りましたが、ウンチクと内部事情ばらしが多かったと思います。賞味期限伸ばしとか着色料とか。「希望の灯り」は、品出し係で、フォークリフトがじゅうような位置を占めています。
stantsiya-iriya.hatenablog.com
ネタバレな北米版ポスター。思ったのが、高さ三メートルほども上のもの、しかも重い酒瓶のケースなどを出し入れする仕事なのに、ヘルメットつけてないのはどういうわけだと思いました。ヘルメットあっても延命につながらないからつけないとか、そういうゲルマン合理主義があるのか。
しかしフォークリフト運転のための講習では、教育映画が狂っていて、胴体真っ二つに寸断したり、両手首から先がちょん切れて何も出来なくなって血の噴出が止まらないなど、相当なカルトスプラッタームービーを見せます。こんな残虐場面がある映画なのに、R15とかの指定がないのはけしからんぷんぷん、という御仁がいるかどうか。
映画観てて、全然ライプツィヒが舞台と分かりませんでした。主人公は墨入れてますが、その時代の悪友がスーパーに来店して主人公を見つける場面で、主人公はまず彼らに「どうやって入った?」と聞き、誰かがメンバーズカードを持ってるという説明をする場面があります。コストコみたいな会員制スーパーで、そのカードがないと入店出来ないシステムなんだあと。
カッターはドイツ語でもカッターだと分かりました。
主人公は左利きでした。主人公役の役者さんの名前がフランツ・ロゴフスキーで、なんとかスキーさんなので、ポーランド系かと思いましたが、ウィキペディアには何も書いてませんでした。ぎりぎりの入場で、あつぎのえいがかん名物の前説聞きそびれたのですが、東独のことと、この役者さんの身体改造等についてとのことでした。(あとで伺った)
ぶんかむらル・シネマでやってたので観ようと思った映画です。しかし厚木に来ることが分かり、待ちました。
主人公はひとりバス通勤で、深夜よくバスがあるなと思いました。あと休憩やたら多い気がするのですが、ゲルマン民族的にもおkなんだろうか心配になりました。以上