ほかの人のブログで見た本です。
カバー画 Sir William Nicholson, Mushroom, 1940
William Nicholson (artist) - Wikipedia
栞が水色のひもで、きれいだなと思いました。装幀者の名前は見つけられず。
作者はマレー華人で、交換留学生としてノルウェーに行ってノルウェー人と出会って結婚し、人生設計、ライフプランを変えてノルゲに定住するのですが、夫が突然死します。マレーシアが地球のどこにあるのか珍しく初対面の時から知っていたノルウェー人だったそうで、家ではマレー男性が部屋着でよく穿く、巻きスカートみたいな、サローンちうのか、それを常用してたとか。私はパキスタンのシャルワールカミースのほうが好きですが、破れてもうない。
その死を乗り越えるにあたってというか、乗り越えるためでもないのでしょうが、きのこサークルに入って、徐々にきのこの世界に没頭し、そこで新しい知見と喜びを見いだすというエッセーです。正直、読んだ感想としては、喪失ときのこは分離していて、喪失は喪失で欠落は任然として作者の中に場所を有していて、きのこで時間が埋まって、そこに熱中して、いそがしく日々が過ぎてゆく自分は、まだ分離している感じでした。融合は、焦らないというか、意識しないようになっているのではないかと。そもユナイトするものでもないかもしれませんし。
裏表紙に"msz"というマークがあり、たぶん「みすず」の意味のマークです。「みすず」とみせかけて実は「ムスズ」と読ませるのかもしれません。
22枚ほどこうした見開きのカラーきのこ写真があり、巻末にきのこ名索引、参考文献、写真クレジットがあります。誰が撮ったかは書いてないです。ニューヨークのセントラルパークできのこ狩りをした体験がほこらしく書いてあり、管理人から、きのこ狩りが禁止事項である旨告知されます。告知するタスクがあるので告知したよ、と微笑みながら言われ、「理性的な仕事の好例」(頁59)としています。きのこのはえる場所をどこまで開示するか守秘するかは温度差があり、孫に伝えるためにGPSマップ作製にいそしむ人がいたり、作者にどこで採れたか聞かれ、「オスロ」(ノルウェーの首都名)としか答えなかったために、關係がそれっきりになってしまった人もいます。
そうしたきのこの世界は私にはおおいに敷居が高く、その辺できのこを見つけても、もしまんいち食べられなくてあたって死んだらヤダな、と思っているので手が出せないのdeathが、ノルウェーでも事情はいっしょだそうで、採ってきたきのこをチェックするところで、一個でも毒キノコが入っていると、ほかも全部捨てさせられるそうです。で、そうした初心者を魅了するために、在野のきのこサークルがなんぼでもあり、きのこ愛好家、マイコフィリアと呼ばれる人たちが、初心者向けのきのこ狩りの集いなどを頻繁に主催しており、マイコフォビアと呼ばれるきのこ恐怖症者たちの緩和ケアにつとめているそうです。その手があるのか。素人できのこの見分けがつかない人は、そういうツアーにまず参加して、いろいろ教えてもらいながら採れば、ダメなものはその場で捨てるので持ち帰らなくてよく、ぜんぶロスするはめにも陥らなくて済む。
下は、何故か写真だけで記事がない、ABCニュースに載ってる、三十年前の作者と夫の人。
で、勿論、オタクの世界なので、古参でかんじのわるい人、知識をひけらかす人、イケズなど、作者はFBからインスタまでSNSを使いこなす人なので、個別の具体例は書いてませんが、組織につきもののアレがないとは書いてないです。ええ話やなあ。癒しの話であっても、プラグマティズムに満ちている。
上の写真はベニテングダケで、私が日本で見るものとやや形状がちがい、そうした、図鑑で見るキノコと実戦での異なりもまた、ベテランの指南が必要な理由だそうです。日本でのベニテングダケの扱いと似てると、愛好家なら思いそうな描写として、ノルウェーにもあるマジックマッシュの扱いがあり、古本屋で買うような本だとそれは食用に分類されていて、現在刊行されている本やネットだとそれは抹殺されているので、かえって不自然なんだそうです。ベニテングダケは日本でかつては食用分類されてたかというとそんなことはないはずなので、陰謀史観が、その人にとっての「だったらいいな」に寄り添う例かもしれません。
作者はそっちの愛好家(匿名かな)にインタビューしてますが、そういう人はそれだけの愛好家であるとも思えず、音楽を聴く時は爆音とか、まあそんなかんじで、青山正明の友人的な人(絶えず性欲の対象として女子高生を追い求める)とかだったら大変だなと思いました。*1オーサはスウェディッシュ。
南の島の牛の糞に雨季になると生えてくる、オムレツにするようなやつとの効きの違いは、そっちは出てこないので(ノルウェーのきのこオンリー)よく分かりませんでした。あれもアシッド、エルみたいなもので、脳に来るから、ケミカルだからだめ、自然のものだからよい、とは言えない。ケミカルはノーですが、ナチュラルだってものによってはたいがいデスよ、みたいな話だと思っています。一度、人を殺しそうな目付きの奴を見てからそう思ってます。
マツタケについての西洋世界の扱い、靴下のにおいとかそんなの(頁190)は、確かこの前、ワイドショーで、モーリー・ロバートソンもそんなこと言ってました。
作者はマレー華人なので、日本人の松茸信仰も知っていますが、書籍等で知識として知っているだけなので、距離を置いています。霊芝に関しては、ニューヨークのセントラルパークでGETして、故郷マレーシアの母に送ったら喜ぶと、鼻息荒く書いています。頁60。冬虫夏草はノルウェーには生えないのか、出ません。日本にもないので、別にあれですが。
題名から、横濱日ノ出町に菌糸類名を冠した手コキ風俗店があるのを思い出した(来店経験ありません)のですが、勿論本書に関係はないです。原題のノルウェー語は、グーグル翻訳すると、「人生に戻る道」だそうです。英題と独語タイトルは下記。
The Way Through the Woods: overcoming grief through nature
- 作者:Litt Woon, Long
- 発売日: 2021/01/14
- メディア: ペーパーバック
Mein Weg durch die Wälder: Was mich Pilze über das Leben lehrten (German Edition)
- 作者:Woon, Long Litt
- 発売日: 2019/08/12
- メディア: Kindle版
本書のきのこレシピは、シンプルな北欧だからかシンプルで、バター炒め以外何があるのかという。マレー華人の著者は醤油炒めがやはり口にあってしまったようです。
たっぷりきのこご飯〈病院・介護施設向け〉|レシピ大百科PRO|【味の素KK】業務用商品サイト
二人の訳者さんが訳者あとがきで、持ち場の分担に触れ、中村さんという方は、巻頭に引用された詩の作者を紹介しています。25歳で自死した娘さんへの詩だそうです。
もう一人の訳者さん、枇谷さん(「ひたに」と読むそうで、知りませんでした)は、私もはっとしたのですが、ノルウェーの葬儀の簡素な点に驚いていて、作者も強い違和感を覚えていたと、わざわざ特記しています。下記本文から。
頁43
約束の時間、病院の礼拝堂に来た私は、死者に服を着せなくてもいいと言われた。解剖後の体に服を着せるのは辛いだろうと。
もういっちょ。
頁45
葬儀会社はノルウェーの葬儀で最もよく使われる、緩くて白い外衣や、軽くて薄くて白い「毛布」を携えていた。ノルウェーでは葬る死者に下着をつけさせないというのは、衝撃だった。
作者は、死んだ夫に服を着せて送るのは自分のスキームだと考えたようで、遂行します。この辺、ゲルマン民族は理性的すぎると紋切り型に切って捨てたらよいのか、あるいは、古代から北欧は、死者を葬る際、意外とシンプル(キリスト教化する前)と大きくふりかぶって考えたらよいのか。…よく考えたら、日本の死に装束も、下着つけなかったような… どうだったかな?
しかしこのマレー華人の視点は、ノルウェーで新鮮だったそうで、死者を看取る場が家から病院へと移ったノルウェーとの対比として、彼の地の新聞"Vårt Land"「私たちの国」で特集が組まれたとか。マレーシアでも病院で臨終を迎える時代だと思うのですが、しかし、「どう送るか」の価値観の違いは大きく、それを認識する良い機会だったと。以上