町田市民文学館ことばらんどミニ展示「三井永一 挿絵展」(お宝展示 第14弾)

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お宝展示 第14弾 三井永一みついえいいち 挿絵さしえ展 当館の収蔵品を順次公開するミニ展示シリーズ「お宝展示」の第14弾として、三井永一氏の挿絵原画をご紹介します。 三井氏は、1977年、57歳の時に世田谷区代田から町田市小川に転入して自宅兼アトリエを構え、以来34年間をここで過ごしました。 1970年代後半から描いた、架空の城塞や小建築をモチーフにした幻想的な油彩画のシリーズは、この自宅近隣のスケッチを素材としています。また、リトグラフの中には「境川」というタイトルの作品が数点あり、初期の版画は町田市立国際版画美術館に寄贈されています。 2008年には、挿絵原画、装幀原画など約300タイトルを当館にご寄贈いただきました。挿絵や装幀を手掛けた主な作家は、柴田錬三郎早乙女貢池波正太郎笹沢佐保山田風太郎横溝正史小松左京高木彬光など、時代小説、剣豪小説、ミステリー小説が中心です。今回は、その中から多くの方に知られている作品の挿絵をご紹介します。 三井永一 みつい・えいいち 洋画家・版画家・挿絵画家・ガラス絵作家 1920年1月2日生まれ。山形県鶴岡市出身。 1936年鶴岡中学校の美術教師であった地主悌助にすすめられ上京、川端画学校、春陽会洋画研究所に学び、木村荘八に師事した。1938年第16回春陽会展に18歳で初入選、1939年第3回文展に初入選。1940年にはパリから帰国した岡鹿之助の教えを受けている。1943年から45年、満州済州島で兵役。春陽会では1953年に絵画部会員になり、1964年には版画部の設立に携わった。以来、油彩画、版画(リトグラフ)、ガラス絵など、多様な絵画作品を発表し、現代美術展、詩画展、国際アートクラブなど当時の前衛美術動向との交流も重ねた。1960年代前半から、柴田錬三郎早乙女貢池波正太郎横溝正史小松左京宇野千代など数多くの作家の挿絵、カット、装幀などを手がけた。歴史時代小説、ミステリー小説、伝記など多岐にわたり、技法も木村荘八ゆずりの日本画風から前衛的なタッチまで多彩である。1971年度第2回講談社出版文化賞(さしえ賞)を受賞。2013年鶴岡市致道博物館で「画家93歳三井永一の軌跡―油絵・リトグラフ・挿絵―」展を開催。会期中の6月1日、病のため93年の生涯を閉じた。

右は半七捕物帳から。幽霊でしょうか。

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眠狂四郎円月殺法を使ってるふうにも見えませんが、達人なので多対一で必ず勝つ。マッパの人物はよく分かりません。

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左は眠狂四郎。ここにもオッパイが。右は八つ墓村八つ墓村というよりは、モデルになった津山三十人殺しを、山岸涼子がマンガにしたのを読んだかのような場面。体が弱いので徴兵逃れの青年が後家さんのつばめになったけれど、トウが立ったので捨てられて、それで逆恨みして村人を次々惨殺、だったはず。後家さんじゃなくて唯の人妻だったかもしれません。

ヒマなわけではなく、カムカムエブリディを見るため急いで帰りましたが、帰ったら一時回っていて、しょうことなしに録画を見ました。したらなんか日本語しゃべっていて、萎えたです。鹿児島から上智大学のかみしらいし一族(叶姉妹の娘ではないんですよね)が演じていたときからこんな落ち着きのないキャラでしたでしょうか。娘の踊る大捜査線まで小娘感がハンパなくでだして、華丸大吉がIKKOに助けられる展開に。

以上