"Have At Least Four Wives."第七話ー女房は最低四人持て『ガマの聖談 人生に関する珍考漫考』"Toad's Sacred Talk." -CHINKOU〈Curious Thoughts〉( It sounds like penis. ) and MANKOU〈Pondering〉( It sounds like cunt. ) about Life.- by Kiiti Minami 南喜一(カッパブックス)KAPPA BOOKS

ガマの聖談 : 人生に関する珍考漫考 (光文社): 1968|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

南喜一 - Wikipedia

全二十六話を一話ずつあげていくとすると、あと二十日はこれにかかりきりの拘泥ですので、はやくもゲンナリしてきて、私の青春のたいせつないちページを、セックル狂いのジジイの告白に費やすのもおえんと思い(青春でも大切でもないですが)幾話か端折ろうと思ってますが、今日は引き写すこともそれなりにあったので、一話にします。

どこまでも藤城清治の無駄遣い。

ガマサンの一夫多妻説の根拠は、①女性が一生で排出する卵子が千個に満たないのに対し、男性は一回で五億の精子を放出するので、一対一では不公平ではないかという話。②女性はあがったら孫の面倒を見る楽しみがあるが、男性は生涯現役。③昔の大奥は、三十過ぎたら褥を辞退、かわりの若い娘を推挙する慣習があった。けなげなものなので、現代でも参考にしたい。「科学的に証明したい」と言って始めてこれなので、合気道八段の女たらしはこわいなあという。

頁66

 たとえば、おれが五十になったとき、二回めに三十のおんなをもらったとする。おれが七十三になれば、相手は五十三だ。そして、これもそろそろあがってしまうと、どうしてもアレはダメになるんだ。

 ところが男のほうは、現におれのように七十五になっても、毎晩だって一向に差しつかえないんだからな。そうすると、当然、おれは三人めをもらわなければならなくなるんだ。それにはどうすればよいか。

ええかげんにせいよヒヒジジイ、と私などは思いますが、わがイーを得たりの女性がたくさんいるなら、何も申せません。ただし、ロクでもないオヤジで、長生きしてほしくないというなら話は別、というくだりは私も手放しで同意します。

頁66

 インドネシアなど回教徒のあいだでは、四人まで妻を迎えることが許されているが、あれくらい自然の理にかなったものはないな。

(略)

そこで、(略)克服するために、回教では四人の妻をもつという制度を設けたのであろうが、この点、マホメットというやつはなかなかたいしたやつだと思うな。

聖戦(ジハード)で殉教した戦士(ムジャヒディーン)の寡婦の生活補償という意味合いが多夫制、否多婦制のオリジン弁当なはずですが、ガマサンが知らなくてもしかたないというか、インドネシアが引き合いに出されてるのはデビ夫人と瀬島龍三絡みかなという。

この後、広東在住時に知己となった爺さんが八十越えで十七人のお妾さんを持っていて、ぜんぶ金で調達したものだが、中国人なので四世同堂、ぜんいん同じ院子に寝起きして、食事の際は一つの卓で、正妻を真ん中に、十七人がぐるりとまわりを取り囲んで大皿のお菜をつついていたそうです。ガマサンは、そこで、一番下の十七歳に八十越えの爺さんが種付け出来たと書いてますが、私はこの日記を書き始めてから、もうずいぶん、若い妻が若い燕とか獺とかとデキて妊娠出産まで行く話を、回教圏の小説でも漢語文学でも読んだ気がします。要するに、やっぱりそういう話の流れになるよね、という。

この後は、女性のベストコンディションはいつかという話になり、ガマサン説では生理の一週間後の排卵期がそれにあたるそうで(反応を比較した実地研究の成果)女性には周知の事実の話として、生理中の女性のあとで同じトイレに行った女性が始まるように「メンスはうつる」ので、ガマサンはそれを利用して、わざと生理中の女性と自分が次にスケジューリングしている女性を同席させ、後者を同衾時ベストコンディションになれるよう持っていくんだそうです。ロンブーの淳とかも、そういうこと考えたことあるのかなあ。

この話には前出の林髞木々高太郎)という人がまた出てきて、それ以外に、ある会社で謝国権の著書を社員に配ったら、能率アップにつながったが、それは南喜一サン的には自明の理で、「三度の食事と、毎晩のそれに満足しないで、なんでほかのことがうまくやれるものか」ということだそうです。まあそうなんでしょうね。

小見出し:一夫一妻制の悲劇 女は四人が理想 女のベスト・コンディション 女のためいき

著者・南 喜一 著者・南喜一君のこと サンケイ新聞フジテレビ会長水野成夫みずのしげお  南君にガマ将軍の愛称を呈したのは、『人生劇場』の作者、尾崎士郎であった。そのガマ将軍とごくとの交友はじつに長く、ほぼ半世紀に近い。よくも飽きずにつきあったものである。  しかし、この交わりで得したのはむろんぼくのほうで、彼はぼくたちが、一高や東大でついに学びえなかった人生の機微の数々を、ことこまかに教えてくれたものである。  若いころから、浮世の辛酸に身をさらし、人生の幾山河を踏み越えてきたこの先輩は、処世百般、とくに食生活や性生活については堂々たる見識の所有者で、ぼくなど時のたつのも忘れて彼の話に聞きほれたものだ。 『ガマの聖談』には、そのころの話や、その後の体験記らしきものが、ユーモアに富んだ筆致でみごとに描かれている。  その表現は、ときに猥雑の感をあたえるかもしれないが、よく読むと、読者はそのなかから珠玉の真理をくみとることができるであろう。なぜなら、彼にあっては、食生活の知恵も、性生活の知恵も、そのすべてが、健康と長寿につながっているからである。 〈著者略歴〉明治二十六年石川県に生まる。早稲田大学卒。社会運動家をへて、財界にはいり、現在、国策パルプ会長。ヤクルト本社会長。日本ガン予防協会理事長。合気道八段。昭和四十年藍綬褒章を受章した。

ボーツー先生と福田和也の下記書評対談に登場する本。カーリルで県内図書館に蔵書があると出て来るので(白帝社版かな)公序良俗には反してないと思うのですが、他館本リクエストで数回なしのつぶてだった本。最近思い立って、日本の古本屋で、愛媛の古書店さんから、てごろな値段のものを購入しました。七百円。送料三百円。計千円。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

 

裏表紙のサンケイ新聞フジテレビ会長(当時)水野成夫サンの一文は、著者ウィキペディアの記述を裏付けるものです。

著者ウィキペディア

(略)1940年転向仲間の水野成夫と古紙再生会社「大日本再生製紙」を設立する。1945年には宮島清次郎が社長を務めていた国策パルプと合併し、同社の常務取締役となる。(略)

(略)経営が悪化した同球団をヤクルト本社が買収したこの一件について、当時は「水野の窮地を盟友の南が救った」と言われていた。(略)

水野成夫 - Wikipedia

人生の機微と女性の核心にふれる 東京教育大学教授 杉靖三郎  
私は、厚生省栄養審議会や、体力づくり国民会議などの会合で、南さんの「聖談」には、いつも感心させられていた。  その豊富な体験に裏うちされた内容は、私の専門である生理学的立場からみても、スジがとおっていて、たいへん興味深い。  南さんこそは、ほんとうの意味での学識経験者だと、敬服している。  いつも、「聖談」だけで終わるのは、じつに惜しいと考えていただけに、「人生の機微」と「女性の核心」にふれたこの本が世に出ることに、心から拍手をおくりたい。
カバーデザイン・田中一光 著者撮影・田沼武能たけのり
近代実践派の色道武勇伝 性科学者 高橋鐡  
一ページ、いや一行の文が一生のプラスになることもある。この本にはそれがいっぱい。”初交三回説”や、”一寸五分型説” ”マス効用説”をはじめ、”Mベラ” ”人体穿孔機”の発明など、さすがに近代実践派の大モノが豪語した色道武勇伝である。  極左派から、国策事業までの振幅を示した異色頭脳の産物だけあって、性学上の科学的新発見にも驚く。当今流行の労務管理の秘伝も兼ねている。  そのうえ、政財界人、文士、力士が、「粗チンの持主」としてぞくぞく登場するから、痛快きわまりない。

カバー折。田中一光のデザインとは。目次の次のページによると、本文さし絵・藤城清治だそうです。そんなそうそうたるメンバーが、このエロトーク集に結集したと。

杉靖三郎 - Wikipedia 

杉 靖三郎先生を偲ぶ - 日本生理学会

http://physiology.jp/wp-content/uploads/2014/01/064100237.pdf

ja.wikipedia.org

田沼武能 - Wikipedia

いつも元気、いまも現役(文化勲章受章・写真家 田沼武能さん) | 健康長寿ネット

www.jiji.com

田中一光 - Wikipedia

まえがき(昭和四十三年一月二十五日)によると、このトークは、光文社の雑誌「宝石」に昭和四十年十月号から昭和四十二年十一月号まで二年にわたって連載したものをまとめたとか。すでにオープンリール*1の録音装置は普及していましたが、まあ、ライターと編集者にご本人がざっくばらんに語って、ライターがそれをメモして、だいたいな感じで文章に仕立てあげたんだと思います。そのほうがラクだし、ライターも腕が揮える。

KAPPA BOOKS KOBUNSHA 光文社の「カッパ・ブックス」誕生のことば  カッパは、日本の庶民が生んだフィクションであり、みずからの象徴である。  カッパは、いかなる権威にもヘコたれない。非道の圧迫にも屈しない。なんのへのカッパと、自由自在に行動する。その何ものにもとらわれぬ明朗さ。その屈託のない闊達さ。  裸一貫のカッパは、いっさいの虚飾をとりさって、真実を求めてやまない。たえず人びとの心に出没して、共に楽しみ、共に悲しみ、共に怒る。しかも、つねに生活の夢をえがいて、飽くことを知らない。カッパこそは、私たちの心の友である。  この愛すべきカッパ精神を編集モットーとする、私たちの「カッパの本」Kappa Books は、いつもスマートで、新鮮で、しかも廉価。あらゆる人のポケットにあって、読むものの心を洗い、生きる喜びを感じさせる――そういう本でありたい、と私たちは願ってやまないのである。 昭和二十九年十月十日

奥付 昭和43年2月15日初版で、読んだのは同年7月1日の37版(37刷)左上に神吉晴夫サンの名前が見えます。カッパブックスの生みの親はもちろん、「戦後最大の出版プロデューサー」©Wikipediaだとか。

神吉晴夫 - Wikipedia

創業者 神吉晴夫 - かんき出版

神吉晴夫のベストセラー作法十か条

1. 読者の核を20歳前後に置く
2. 読者の心理や感情のどういう面を刺激するか
3. テーマが時宜を得ている
4. 作品とテーマがはっきりしている
5. 作品が新鮮であること。テーマはもちろん、
文体や造本に至るまで今までお目にかかった
ことがないという新鮮な驚きや感動を読者に与える
6. 文章が読者の言葉遣いであること
7. 芸術よりモラルが大事
8. 読者は正義が好き
9. 著者は読者より一段高い人間ではない
10. 編集者は常にプロデューサー・企画制作者の立場に
立たねばならない。先生の原稿を押し頂くだけではダメ

右上の伊藤整『文学入門』と、サラリーマン目白三平シリーズがカッパブックスの最初だったそうで、この巻末広告を見ても、ミッキー安川アメリカ留学記、三笠宮殿下のご著書、中帰聯の三光作戦関川夏央も読み込んだ『にあんちゃん』、わだつみの声、川喜田二郎のヒマラヤもの、ゾルゲ事件連座の尾崎秀実『愛情はふる星のごとく』と、実にバラエティに富んだラインナップになっていて、驚きます。私もこれらの本は読んだり積んだりのはず。

以上