『天路の旅人』"THE TRAVELER ON THE CELESTIAL PATH. " by Kotaro Sawaki 沢木耕太郎 読了

www.shinchosha.co.jp

celestial pathの意味・使い方・読み方 | Weblio英和辞書

著者のアルファベット表記は下記ジャパタイの記事から。この人の英語版ウィキペディアがないとは思いませんでした。著作の英訳があればそれに従えると思いましたが、アマゾンで絵本『わるいことしたい!』のハングル訳「나쁜 짓이 하고 샆어!」(담부스)"Dumps"と中文訳《我就是想要幹壊事!》(連環画出版社)が見つかっただけでした。"Kohtaro"で検索すると、World Cat Plusで『凍』の台湾版『凍 : 挑戰人生極限的生命紀錄』が出るのですが、World Cat Plusはアルファベットをピンイン表記で統一しているらしく、沢木サンが澤木と繁体字になっているのをさらに"ze mu geng tai lang", 北京語のゼームーゲンタイランサンにしていて、使えません。

www.japantimes.co.jp

https://www.worldcat.org/ja/title/727703880

下は角幡唯介サンの書評。

bunshun.jp

角幡サンは西川本を「北極のカヤック行で浮氷に閉じこめられ長期停滞を強いられたテントの中で」読んだそうで、「文庫3冊1800頁にもおよぶ大作は、こんな暇な時でなければ読めるものではない」これは、沢木耕太郎サンのあとがきとも一致します。「確かに『秘境西域八年の潜行』という本は存在する。だが、それはあまりにも長大すぎるため、最初から最後まで読み通すことのできた人がどれだけいるかわからないほどである」要するにみんな積ん讀で、内容を精査して、誤字や事実関係のおかしなところを洗い出そうとする人が少なかった(いたとしてもその成果が広く世に共有されていなかった)ということで、同時期にもうひとり潜行者がいて、彼も又ルポを書いた、その木村肥佐生チベット潜行十年』と照らし合わせることにより、またとないファクトチェックが出来るのに、誰がどこまでそれをやったのか、ということで。やった人はたくさんいるはずですが、その成果が公開されて広く知られていないということだと思いますけどね。

 その旅を沢木耕太郎が今になって書き直す。となると、当然ながらその意味が問われることになる。西川氏の本は木だけを書いているところがあるので森を書きたい、と沢木氏本人は記すが、ではその森とは何なのかということだ。

(略)

 では造形された作品において沢木氏の主題はどこにあるのだろう。それは西川氏の人間としての覚醒ではないかと思う。

これまで、一冊にコンパクトにまとめられた木村十年を私なぞはまず読んで、西川本は積ん読だったわけで、みんな同様だと思っているのですが、これからは、みんな簡潔に要約された沢木本を読んで、やはり西川本は積ん読のままになると思います。その意味で、沢木サンは、しょわなくてもいい責務をしょってしまった。西川サンという人間をインタビューで浮き彫りにする形で本書を書けなくて、けっきょく西川八年を要約するしかなかったことで。私はなんとなく、沢木サンが、西川サンの人間性に敗北したんじゃいかと思ってます。ペンで的確に浮かび上がらせることが出来なかった。

例えば、沢木サンが、蛭子能収の伝記を書いたとしたらどうでしょう。何を書いても、蛭子能収サンご本人のミリキを、引き写したとはいえないと、自問するのではないかと思います。紙の上に残ったものから、何かが出て行ってしまって、物足りない。蛭子サン自身、語り起こしだからだと思いますが、たくさん活字の本を出していて、しかしそれと、マンガ家時代の『旅芸人の記録』『呆れた金持ちの怒り』などの作品と、どう整合性をとったら、おもしろいエンタメノンフ©高野秀行が書けるかというと、かいもく不可能な気がします。

沢木さんは、たまたますぐ西川さんご本人がコンタクトがつく方なので、ご本人八十歳でまだ自営業を営まれている時に、月イチくらいで週末に三時間半ほど、酒を飲みながら話を聞いたそうで、まあ酒が入った話だからいくらやってもまとまらないだろうと外野が思う通り、それで本は書けなかったようです。頁21。最初は二合徳利をひとり一本ずつ手酌で飲んでたそうですが、しだいに一人四合にもなったそうで、八十歳で四合はちとどうかと思いました。こがないで引いて歩くにせよ、よく自転車でひとりで帰れたなと。

岩手の盛岡で、八十越えても、美容室や理髪店相手に器具や消耗品を卸すお店を経営していたそうで、雑然とした店内だったそうですが、高齢者が経営するお店のそうした店内は、どこの商店街でも一時期目についたので(最近は減りました)違和感はありません。しかしチベット仏教の僧院があかりが貧弱で、そこで長年木版のお経を読んで覚える修業をしていたからか、頁538、視力のせいで運転免許がとれなかったそうで、それでよくそのお店が経営出来たものだと、その点はおどろきました。配達に人を雇ったそうで、そうとすると、それだけで支出ガーなはず。たぶんそういうことは、一切語ってくれなかったのではないでしょうか。線を引かれた。

前にも日記に書いたのですが、西川一三を「いちぞう」と読んでいた、アムド支援関連の人がいて、西川サンより年長者だったので、興亜義塾や善隣協会、あるいは特務等の絡みの人だったのかなあと思ってます。こうした人たちは実はたくさんいて、諸橋大漢和がとても中国辺境の地名を網羅しているのは、彼らが足で探った成果の一部だと私はひそかに思っています。

本書にそうした西川サンより年長の人たちは、西川サン八十歳の取材スタートなので、出ません。物故等でインタビューは無理だったと思われます。そして本書では一三サンは「かずみ」と読まれるままです。私としては、阪急の創業者でもあるまいに、なんで「いちぞう」なんだろうと今でも思ってますが、沢木サンは、そう西川サンを呼んでいた年長者がいたことに、気づいてすらいないかもしれません。そういったことを、一切語らない人物っぽいと、そこは本書を読んでも思いました。人たらしがするっと内に入り込めず、線を引かれた。

そんなこんなで鵺的に時間だけが過ぎ、ご本人が逝去し、夫人のインタビューや、当時の編集者が存命で、肉筆原稿が発見されたこと、ここが第二のターニングポイントだったと思いますが、発見された肉筆原稿は、あくまで活字化された分だけで後は散逸しており、生原稿をもとに完全版を復元して、整合性の取れなかった分、つじつまの合ってない分をフォローアップすることは出来なかったようです。出来ていれば、木村サンの十年が英国人の聞き取りによって『偽装の十年』としてフォローアップされたごとく、西川版『偽装の八年』となったかもしれない。でもそうはなりませんでした。

それから時間がたって、本書を、こういう形(大半が中公文庫のダイジェスト版)であっても書き残そうとしたのは、ご遺族の娘さんがひとりもの?かどうかは分かりませんが、今後、資料が散逸しないようどこかに寄贈するにしても、なんらかの世の中へのニュースなどがあって再度脚光を浴びないと、ツラいと考えられたのかもしれません。私には、そう思えました。実際、今、西川本も木村本も、日本の古本屋で出物なし、アマゾンでボッタ値ついてます。資料として読みたい人は、図書館ではぜんぜんリクエスト予約待ちないので、問題ないのですが。

本書はリクエスト予約順番長いです。私は十七人くらい待ちましたでしょうか。

で、本書を読み始めて、まず思ったのが、用語がアップデートされていないこと。あるいは、用語の不統一性。

まず、頁63に、「活仏」という単語が出て、まあ転生霊童で、私にとってはなつかしい言い方で、おそらく中文では今もそう呼んでそうなのですが、近年活性化されている、チベット現代文学ほかを邦訳する試みのなかでは。これは、「化身ラマ」と書かれるようになっています。下は白水社のニューエキスプレスチベット語2020年版頁126。

同じページで「ラマ教チベット仏教)」という言い方もあり、ラマ教という言い方を、現在はチベット仏教と言い換えていることが多いことを著者も編集者も理解してると思われますが、チベット仏教と言ってしまうとモンゴル人も信仰してることとアレじゃないかと勝手に思ったのか(モンゴル人はそんなこと思わないです)本書では「ラマ教」と書かれた箇所が多いです。「活仏」⇒「化身ラマ」の用語変遷も知っていると思われるのですが、おそらく西川一三サンが当時使っていた用語をそのまま使おうとしたためでしょう、あまり現在の言い回しに変えてません。

このページは、もうふたつ気づきがあります。包頭郊外の石拐子というところ伸びる軽便鉄道?について、沢木サンは京大がウェブ上に公開してるアーカイブに辿り着いているのですが、そこに記載された石拐子のピンイン"shiguaizi"を、シグァイと誤読しています。正しくはシグァイです。"zi"を、カタカナにあえてすると「ズ」になることは中文学習の基礎のキなのですが、おそらく沢木サンにその知識はなく、またブレーンや編集にもチェックした人がいなかった。

codh.rois.ac.jp

当時西川サンともうひとりの興亜義塾の人は石拐子郊外のバタゲル廟というチベット仏教の僧院に身を寄せていたのですが、そこは信仰とは無縁の八路軍に襲撃され、金目のものは全て持ち去られ、あろうことか僧侶まで二名連行され、身代金を要求される事態になります。デングリ化身ラマは西川さんらに救援を懇願し、西川さんらは特務機関に被害を訴え、日本軍と内蒙古軍が出動し、二人の僧侶を奪還します。ここ、私は読んでて、南モンゴルにおける八路の掃討作戦には祖先が従軍しており(戦争はこりごりだそうです、飢餓と紙一重だから)八路は実は戦っても強いと聞いていたので、なるほどと思いました。人民のものは針一本盗まなくても、旧社会の搾取階級である牛鬼蛇神の邪教寺院はその限りではなかったのだし、《朱毛匪》と恐れられたのは、こうした人質の身代金取り立てなど、まんま匪賊としても活動していたからだな、と納得しきり。まさに《朱毛匪》

頁136、西川サンは酔って人を殴って興亜義塾を放校処分となり、禁酒を誓ったのですが、それは潜行中も守れなかったとあります。女犯は一切してない感じなのに、それもまた業なのかと思いました。頁143、バンデという、男色の相手の若い少年を指す言葉が出ます。本書の単語の多くはチベット語でなくモンゴル語と思われるので、これもそうだと思います。沢木サンは、どの単語がモンゴル語でどの単語がチベット語か、おそらくぜんぜん精査してないと思います。西川サンが使ったことば、それだけでよいと思っていたのかも。木村サンの本によると、肛門性交でなくスマタで、モンゴルとチベットは前からと後からのちがいがあったはず。本書の言い方だと、男色は性器挿入がないので女性との性交渉より性病が移りにくく、性病持ちの僧侶は女性とセックルしたと告白しているも同然だそうです。しかしそこで、梅棹忠夫『回想のモンゴル』まで読んでいれば、僧侶に初夜権があり、梅毒持ちの僧侶が多かったこともモンゴルの人口減少の一因だった、というくだりにまで到達出来、本書後半、性病に罹患すると旅が続けられないので女性との接触を慎んだという西川サンの告白のバックボーンがよく理解出来るはずです。背景には梅毒の蔓延があった。

頁166、「タングート族」という言葉が出ます。「チベット人が蒙古人の影響を受けることで形成された人々」とここでは書かれており、本書に「アムド」ということばが登場しないことから、語り部バカ一代の人が、昨年8月15日に公表した女子会七つの大罪なるとっぴょうしもないメールニュースやFBの文章で、アムドは藏流女子会の捏造で、古来はこの地域はタングートと呼ばれていたのではないか、との珍説を発表(現在はFBからこのくだりは削除)したことは、私だけの記憶に新しいです。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

楊海英サンによると、モンゴル人はチベットをタングートと呼ぶそうで、木村十年でも、頁82ではツァイダム盆地のチャガン・オスの住人について「タンガット人(チベット系アムド族)はアランガンと呼ばれ」と、アムドの呼称を出して書かれ、頁113では、チベット人=タンガット人、と、ハッキリ書いています。偽装の方では英訳邦訳を経て、用語を整理してしまっているので、チベット人としか書いてなく、タンガットの記載は消えちゃってますが… ほんとにケサルバカ一代のひとは、自分がだれよりいちばんガンダムを動かせる、否ケサルに詳しいと思い込むのみならず、その思いが高じて、目が曇った。

ページ69には、中国の民族区分で、モンゴル系なのにハッキリそうと書いてくれない、土族が出ます。楊海英サンの若き日の思い出にも登場する人たち(大通だったかで若いころ工場勤務をしてたそうで)を、本書は「三川人」と書いていて、この言い方は私は気に入りました。今度使ってみよう。機会はありませんが。

en.wikipedia.org

タングートを歴史用語では「党項」と呼ぶことを、世界史必修以降の世代なら、授業サボってなければ知っているはずで、本書も党項と書いてもいいと思いました。

というのも、頁187に「多羅菩薩たらぼさつ」という単語が出て、これは偽装でも現代文学邦訳運動でも、「ターラー菩薩」とカナ交じりで表記されますので、それをすんならタングートも党項でしょ、という。下はこれまたニューエクスプレスより。

通常は「ゴロク」と書かれるゴロも、「ゴルク族」と書かれます。ロシア語の「苦い」でも、夏目漱石の坊ちゃんに出て来る小骨の多い魚でもなく。頁267、「ゴルク族はチベット人の一部族で、その意味ではタングート族と変わりないが、体格のいいことと、陰気な印象を与えることが異なっている。それと、このあたりのゴルク族は盗みをすることで有名なのだという」と書いてあり、しかしこれを張承志『回教から見た中国』のジャフリーヤネットワークから見ると、ゴロは回族商業圏に完全に組み込まれており、いいようにボッタされていたりします。アッシはマルチコンシャスネスの持ち主、という人が見ればそう見る、かなあ。

頁212の「ハサク」という表記はほんとうにひどいと思いました。いったい誰が沢木サンにこんな教示したんだろう。木村十年ではもっぱら「コサック」と書いているのですが、ロシアの騎兵がこんなところにいるわけもなく、中国側の資料を見ても、盛世才への援蒋ルートを襲って新疆から追われ、ツァイダム盆地へ逃げて青海モンゴルを虐殺した遊牧民集団はカザフとハッキリ書かれているので、それを参考にした「偽装」ではカザフ族です。族表記が気に入りませんが、そういうことです。しかし本書は、ハサクという、カザフの漢語表記《哈萨克》のピンイン"hasake"をそのままカタカナにしたものを使っています。いったい誰がこんなバカな用語使用の教唆をしたのか。アホすぎる。立派な日本語の「カザフ」があるのに、なぜそれを捨てた。

その反面、じゅうらい、特に共産党支配のチベット旅行記に頻出した、「チンコー麦」という表記は本書には出ません。ならなんと書かれてるかというと、「青稞せいか」です。チンコーの漢字を今度は日本漢字で読んでる。日本語読みにすりゃいいってもんでもないと思います。ハダカムギという立派な日本語があるのだから、ハダカムギと書けばいいのに、「青稞せいか」なんて、「麦」がつかないので、なんだか意味不明の単語になってしまうのを、よくもまあという… 本書は、キチェ河だったかヤルツァンポー河だったか、カタカナ部分に原語の「河」が含まれているので、本来はつけないほうが「ハングル語」みたく重箱重ねにならなくていいのだが、慣用的にキチェ河だったかヤルツァンポー河だったかみたくなっているので、そうしますとどっかに書いてるのですが、それなら、「青稞せいか麦」と書けばいいのに、なんでなん、という。

ja.wikipedia.org

ちなみに私のビニルハウスの大麦は、もう穂が出てます。アブラムシがつくので、消毒しました。

ハダカムギ麦こがしのようにした粉もんを、ツァンパと呼び、チベットフリークのあいだではあまりに普遍的なことばなので、特にカッコの注釈をつけずにツァンパと書いて仲間内では当然通じるのですが、これ、チベットフリーク以外だと、完全に分からないですよね。本書の監修を誰がしたのか知りませんが、ツァンパだけはチベットフリークのはしくれだったらしく、なんの注釈もつけずにツァンパと書かれます。残波は沖縄の泡盛、ツァンパはチベットむぎこがし。私は麦こがしを食べたことがなく、見たこともないので、ツァンパみたいなものだろうと想像してます。

tomiz.com

本書にはあと三つ、最初にちょろっと注釈が出て、あとは出ないので、読んでくと、あれ? これ何の意味だったっけ、と惑うかもしれない単語があります。①「アルガリ」家畜の糞です。頁88。たぶんモンゴル語。検索すると、下記の本が出て、書名も著者名も壊れてると思いました。

www.shumpu.com

北九州のナントカ大学の院生なのかな、もともとこのテーマで学術論文や発表も積極的に行っていた方なのですが、この題名は明らかに悪乗りというか、悪趣味で、チベット愛のある人にとっては屈辱を感じることもあろうかと思います。作者か編集のどっちかが壊れてると思いました。で、張(张)平平という人なのですが、なぜ姓を日本語読み、名前を漢語読みでチョウ・ピンピンと読ませるのか、さっぱり分かりませんので、壊れてるとしたら前者なのかも。ジャン・ピンピン"zhang  pingping" or ちょうへいへいの二択のはず。なんでミックスしてしまうのか。臭蓬蓬choupengpengまたは臭喷喷choupenpenと掛けてるのだろうか。

②「バナク」本書は、パオとかゲルとかユルトという、遊牧民のテント式住居を指す慣用的表現を使わず、えんえんバナクと書いてます。漢語の〈包〉"bao"、モンゴル語のゲル、トルコ系の「ユルト」(「偽装」では何故かロシア語から英語化した言葉としています)でなく、バナク。

ja.wikipedia.org

「タングート人はバナク、あるいはバツナグと呼ばれる天幕を住まいとする」(頁249)この文章のウラをとろうと検索して、パリのチベタンレストランホームページに辿り着きました。店名が「バナク」だった。よってこれはチベット語

www.banakcuisinedutibet.fr

Banak fait référence à la tente nomade faite à partir des poils de yak située dans les montagnes enneigées du Tibet. 

(グーグル翻訳)

バナクとは、雪をかぶったチベットの山々にあるヤクの毛で作られた遊牧民のテントを指します。

bo.wikipedia.org

しかし旅行者や隊商が張るテントは「テント」と書かれ、牧民の住居「バナク」と明確に区別されます。頁357、夏にラサ貴族がキチュ河に張る川遊びのテントも「テント」でした。エキスプレスでウラとろうと思ったのですが、エキスプレスに、ヤクは出ますが移動式住居は出ません。

③ウールグ。牧羊犬に追われながら必死にウールグを担いで走って逃げる、などの描写がひんぱんにあるのですが、かんじんの説明は頁230に、「背負子」とあるだけ。頁278「背負子のウールグ」などと書かれると、さらに混乱。モンゴル語だと思うのですが、チベット語なのかも。シャンという、ツァイダム盆地の街でのラサ行き準備の場面から登場する単語なので、どちらとも言い難い。

この「シャン」という地名は、ゴルムドと青海湖のあいだのどっかだと思いますが、知りません。「偽装」頁136に、「中国語からの借用語で倉(シャン)と呼ばれている」とあり、〈倉(仓)〉は”cang“ ツァンですので、「ツ」と「シ」を見間違えるという、戦後日本語教育の一大問題の一波及例かもしれません。「十年」「八年」ともにそんな説明文はナシ。

本書の地名呼称は、漢語のあるものは漢語表記でそれを日本語読みしようという方針のようで、夏河はラブランやシャーヘーでなく「かが」、徳格はデルゲでなく「とくかく」、玉樹はジュクンドォやユィシューでなく「ぎょくじゅ」です。頁197。打箭炉をダルツェンドと書かず、「だせんろ」と書いてる本を初めて見たかもしれません。でも、何事にも例外があるというか、昌都はなぜか、最初だけ「しょうと」とルビが振られるものの、あとはチャムドです。ギャンツェやシガツェ、ラサと同じ扱い。

本書の地図は折り返しにあるので、自腹を切らず図書館本でお茶を濁そうとすると、こういうことになります。いたしかたなし。

huhehaoteとピンインで書くと何が何やらで、ただ、f音でなくh音なんだなということだけ分かる、フフホト呼和浩特は、本書では厚和とずっと書かれ、梅棹忠夫サンの本でもそうだったかなあと、さだかでないものの、ちょいちょい悩みました。頁521でやっと「帰化城」という、綏遠と並ぶ知った表記が出て、ほっとするやらなにやら。

頁127、かつては鳥葬、今は天葬と呼ばれる埋葬のいち形式が、なぜか「風葬」と書かれています。川喜田二郎『鳥葬の国』が山田詠美風葬の教室』になったわけではぜんぜんなく、風葬は、チベットゾロアスター教で行なわれる、死体をハゲタカなどにくわせる葬送とはまったく別の埋葬方式なのですが、本書は間違えて使ってます。沢木サンクラスになると、王様はハダカだ、で、編集も諫言しづらいのか。

風葬 - Wikipedia

stantsiya-iriya.hatenablog.com

stantsiya-iriya.hatenablog.com

西川サンのカム紀行、「人殺しつつ、経唱えつつ」だと思ってたのですが、記憶違いだったようで、頁372「人殺しつつ、寺巡りつつ」でした。我ら冥府魔道に生きるもの、死して屍拾うものなし。ケサルと心中のしとが、なぜ殺生を禁ずるチベット仏教で殺生をするのかとかヘンなこと言ってましたが、タフな環境というだけの話だと思います。このページはチベットなのに関帝廟が出てきて、アムドのチベット人も治水の神さまの二朗真君など信仰していたなと思い出しました。太陽がいっぱいの黒いマリアみたいに、二郎真君を川に流す。

頁116に栞を挟んでいるのですが、意味が分からないです。ここだけ、自分で自分が分からなくなっている。

思うに、人には、コマンド、指令というものが、必要なのかもしれません。天命、使命と自分では思っているかもしれませんが、「プログラム」などということばがあるように、「助言」というかたちでなくても、指示があって初めて動く人間は、指示があるとここちよい。西川サンにとって前半のそれは、内示的な吉田松陰と、昭和天皇の密命で、途中それが糸切れた凧となり、木村サンは正気にカエレと荒療治したつもりかもしれませんが、本人の承服出来るところではそれはないかった。そして、戦後のコマンドは、伴侶となった女性からの、地に足をつけて生きなはれ、のひとこと。これですべてが決せられた。私は本書をそう読みました。

というわけで、女子会とケサルバカ一代のバトルに言及せずに本書の感想を書き終えることは不可能と思ったので、誰が読むのか知りませんが、きちっと書きました。何がどうなるか分かりませんが、チベット関連書籍の出版も活況を呈していて、うれしいです。『絶縁』はまだ読んでませんが、村田紗耶香サンがセーラー服と機関銃の同姓同名のしととトークショーやった時に感激したとか、確実に女子会のほうは一般分野に広がりを見せていると思います。沢木サンの本書が、誰がブレーンでこんなトンチンカンなのか、不明なのとは対照的。

www.iwanami.co.jp

かねてから女子会の邦訳は男性作家ばかりで、男尊女卑社会ではあるのですが、同様に男尊女卑のイスラームにおける女性文学の苦闘を考えると、それで納得してはいけなくて、チベットの女性文学というものは現在いったいどういう位置づけなのか、と疑問に思っていましたが、段々社から『チベット女性詩集 ― 現代チベットを代表する7人・27選』(現代アジアの女性作家秀作シリーズ)が四月に出るそうで、訳者は海老原サンという方。詩集なので正直読むかどうか分かりませんが、メモ。もっと正直に言うと、女性は男性に転生しないと解脱出来ない(女性のままでは成仏出来ない)という経文がある限り、最終的に女性の仏教徒がひとりもいなくなる可能性もあると思っています。

また、ホショト部の人が『物語 チベットの歴史 - 天空の仏教国の1400年』(中公新書)という本を四月に出されるそうで、なんでそんな花盛りなのかと驚きを禁じ得ないでいます。禁じてもいいのですが。
これからは、みんな簡潔に要約された沢木本を読んで、やはり西川本は積ん読のままになると思います、と、先に書きましたが、そうなると、本書は、木村DISりが激しいので、木村サンの遺族的にはどうなんだろうと思いました。ご遺族がいるのか、内容的におかしくないか見てもらったりしたのか、それは分かりません。とにかく二人旅行の際は、徹頭徹尾キムラサンが足を引っ張り、足手まといになり、策士策に溺れてすべて台無しにする連続です。で、さいご、糸切れた凧のように、物乞い放浪を続けようとする西川サンをインド政府にサシて密告して、日本に強制送還させるのも、先に身バレして収監されたキムラサンです。本書は、西川さんがこう語ったからこうです、的な体裁をとりながら、キムラサンのマイナスポイントを挙げることにきゅうきゅうとしており、沢木サンはキムラサンがキライなんだろうかとすら思いました。あげく、頁548では、西川サンに、あまり恨まないで的フォロー入れようとして、線を引かれるくだりまで入れて、マッチポンプしてます。こんな策を弄する人とは思いませんでした。

あとがきで、『西蔵漂泊 チベットに魅せられた十人の日本人』の江本嘉伸サンへ謝辞。校正の上村栄サンへも謝辞。装幀緒方修一サンへも謝辞。編集武政桃永サンは、家族に次々コロナカに陽性反応が出る中、本書刊行にさくさく邁進してくれたんだとか。

沢木さんは、コロナカでちょっと難しくなってるけど、事態が好転したら、南モンゴルからインドまで、バスや鉄道を使って西川サンの旅路を辿ってみたいんだそうです。監視カメラいっぱいあるのと、VPN遮断にきおつけてね、あと理由なき公安によるスパイ容疑の邦人拘束には、本当に注意してほしいデス。それと、天空列車に乗りたいのは分かるので、あとのバスの部分は、トイレで停車ひんぱんだとほかの客が迷惑だから、ランクルチャーターくらいしよし、お金アルジャナイデスカ、と思いました。終わり。以上

05:54d

人形シリーズ 鶴間編

今朝も、お湯を沸かして、ストレッチして、お茶をあげました。平熱。ねこはなか。トイレ一回。

3838日書きました。

b.hatena.ne.jp

世の中いろんなことがある。

市役所食堂の味玉ラーメン。家系ということだったか。

醤油味。トウバンジャンを入れて拡大。レジで注文して、出来上がると呼ばれるのですが、けっこう順番が前後します。いろいろあるんでしょう。

出かけます。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

『酒まくら舌の旅』"Journeys of Sake Pillow Tongue. " by Gaku Shinya 岳真也(廣済堂文庫ヒューマンセレクト)読了

岳真也という人の本を一冊読み*1、もう一冊何か読もうと思って読んだ本です。

簡易検索結果|「酒まくら舌の旅」に一致する資料: 8件中1から1件目|国立国会図書館サーチ

岳真也 - Wikipedia

表紙版画=田中正秋

他社の単行本や文庫本をべつの出版社が再版する際、出版ロンダリングとも言うべきか、初出の記載が消えてしまう現象が私の脳内で問題になっているのですが、本書はそういうことがなく、チャンと記載されています。廣済堂偉いです。

初出誌 趣味の雑誌「酒」昭和52年(1977年)2月号より昭和55年(1980年)11月号まで休載を挟みながら四〇回連載。

単行本 昭和56年(1981年)7月文藝春秋刊。

酒まくら舌の旅 岳 真也 風土に磨きぬかれた会心の一献 地酒には「その酒にふさわしい土地土 地の肴であるとか、そこで出逢った人々 や起こった出来事、といった思い出がま つわりついている」と語る著者が、ほん ものの酒・旨酒うまざけ を求めて地酒の蔵元を 訪ね歩く。 一読深酔!?全国味覚放浪紀行。 地酒に巡りあう四十編の旅。 旅と酒をこよなく愛する”極楽トンボ" 岳真也のトラベルエッセイ!!!

鳥打帽は北尾トロへ継承され、そしてさらにバトンが、という。題名の意味がよく分からず、下記の歌と関係あるのかと訝しみましたが、不明。

www.youtube.com

英題はグーグル翻訳ですが、なんでトリップでなくジャーニーになったのかは不明。

だいたい日本酒ですが、伊豆諸島など、焼酎ゾーンでは焼酎です。

頁14、茶利の意味が分からず、検索しました。

kotobank.jp

頁39、天童では春の桜祭りの一環として、若衆と芸者衆が二手に分かれて、人間将棋を指すんだそうで、知りませんでした。山形、ディオ!みたいな感じで、山形戦にあわせてやるわけでもないからでしょうか。The Colour is Blue. 観光大使ラズウェル細木サンも酒ほそで書いてないかったし。

www.youtube.com

頁56、福生の地酒は地下水を使っているという箇所があり、先ごろの泡消火剤、PFAS血液検査した人は、こっちにも行ったのか行ってないのかと思いました。

著者はお銚子六本ぐらいすぐ空けて、その後旅館から外に繰り出し、二軒三軒はすぐ梯子出来、料理も食べつつ酒も飲むそうで、健啖家で、かつ若いと思いました。お銚子をたもとにしのばせて温泉入浴したりもするそうで(仲居さんは止めるそうです)露天風呂なのかなというと、本書の中で露天風呂初体験を書いているので、内風呂の共同風呂でそれやってたのかと、ちょっと。においもあるし、それはどうかなという。

頁94、諏訪の酒として眞澄や神渡、本金と並んで、「ダイヤ菊」が挙げられていて、酒蔵が立ち並ぶあの道に、この銘柄あったっけ?と分からなくなりました。

https://stantsiya-iriya.hatenablog.com/entry/2019/11/19/070215

茅野のお酒で、写真撮ってたんですが、日記にあげて外部ストレージ保存済ということで、脳内では忘れてました。

https://stantsiya-iriya.hatenablog.com/entry/2019/11/18/210405

小津安二郎が愛した酒だそうで、上の写真は茅野駅前ショッピングモールの、小津記念コーナー。蔵元によると、「諏訪杜氏」は、八ヶ岳麓の富士見、原村から来る杜氏さんたちの総称とのことで、なので茅野の「ダイヤ菊」も、「八ヶ岳の酒」というより「諏訪の酒」というくくりでいいのかな、という。尖石考古学館のキュレーターサンの意見や、小平奈緒サンの意見も聞いてみたい。

頁107、きんきろう、否キム・ヒロが立て籠もったことで知られるスマタ温泉は、もともとは「美女づくりの湯」として隠れた人気を誇ってきた古い温泉郷なんだとか。

www.google.com

頁112によると、著者は生まれも育ちも初台で、独身時代二年ばかり神楽坂にいたのを除けば、28年間初台で、それが結婚四年を経て、仙川に引っ越したとか。ケーオーボーイなのに、なんで神楽坂なのか。そして、仙川というと、むかしコミケのカタログに載ってた、森山塔の仙川地下工房を思い出します。同人誌を積極的に買ったことは一度もないのですが、カタログを見たことは二、三度あります。晴海のころ。

著者は運転が出来ないのか、飲酒する都合上からか、車移動はすべて知人の運転か、出会った人の運転です。誘拐されてアッーーーーーーーーとかなくてヨカッタデスネ。

detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

頁142、「日本のチベット」と呼ばれる北上山中に向かい、「南部曲がり家」を鑑賞します。人間と馬が同居するので馬糞くさく、それで廃れたとか。

www.bunka.pref.iwate.jp

南部曲り家 | 盛岡手づくり村

千葉家住宅 - Wikipedia

著者はパートナーを「ケン妻」と書いてます。賢妻でなく、喧妻の意味を込めてるそうですが、支那と漢字で書くのでなくシナとカタカナで書けばいいルールなのか。

頁165、丹沢の酒が出ます。秦野「白笹鼓」伊勢原「菊勇」厚木「盛升」松田「松見酉」「報徳娘」「蘇我の誉」平塚「旭乃滝」愛川「東の誉」

東の誉を本書は「相模湖のほとり」と書いてますが、中津川のほとりだったようで、もうないみたいです。平塚の地酒はこの名前でなく、別の銘柄「大山泉」が出て、この名前は何も出ません。「盛升」を、本書は七沢の酒と書いていて、七沢は厚木ですので、そこはセーフ。

頁219、返還前の沖縄旅行の回想で、著者の政治スタンスというか、当時の大学生が、余裕のある家庭しか大学に行けない時代でしたので、今よりエスタブリッシュメント感溢れてると思わせる描写があります。

頁219

ぼくは政治青年ではなく、そうした一連の運動に直接かかわっていたわけではなかったが、それでもひとりのモノに感じやすい学生として、まったく無関心ではいられなかった。

「ひとりのモノに感じやすい学生」という表現、すばらしいと思いました。バブル期なら、「おまえさー、言ってて恥ずかしくないか?」と飲み屋で説教されそうな口吻。

頁262、群馬県の奧利根に行った時の話。日本武尊と書いて「やまとほだか」と読ませています。やまとたける、ではなく、ほだか。

www.google.com

武尊山と書いて「ほだかさん」と読ませる山があるからのようです。穂高と書かない。

文庫 | 廣済堂出版

もう文庫は出してないというか、出版不況で会社自体もいろいろのようですが、かつてはいろいろ出してたんですね。

カバー折

廣済堂文庫
ヒューマン・セレクト
マンガで読む観音経 ①〜④ ●桑田二郎
マンガで読む般若心経 ① ② ●桑田二郎
消された古代日本史 ●荒川 敏
武田信玄おもしろ読本 ●南條範夫 河野 亮
戦国乱世おもしろ読本 ●桑田忠親
日本史なるほど読本 ●木村時夫
情死の歴史 ●邦光史郎
暗殺の歴史 ●百瀬明治
賄賂の歴史 ●高野 澄
消された日本史 ●宮崎 惇
仏教のわかる本 ●松清弘道
般若心経の心 ●花山勝友
仏教は死者のものではない ●ひろさちや
ムツゴロウの人生航海術 ●畑正憲
ムツゴロウの野性教育 ●畑 正憲
人間鑑定おもしろ読本 ●浅野八郎
こんな男は亭主にするな! ●荒谷 慈
日常のことば ●外山滋比古
ラサール石井の大教育論 ●ラ・サール石井
相手を探す相性テスト ●島田一男
人間関係ゲーム ●山本晴義
面白うんちく新学説 ●古谷三敏
お天気博士の季節の旅人● 倉嶋 厚
丹波哲郎死者の書丹波哲郎
バックミラー人間模様 ●福井正道
雑学ものしり読本 ●夏目通利
寄席放浪記 ●色川武大
競馬狂想曲 ●阿佐田哲也
|表紙版画=田中正秋

エイトマン桑田次郎レモンハート古谷三敏、ムツゴロウ、大霊界ひろさちや、事件記者、ラサールでなくラ・サール、そして居眠り先生が両方の名前で出してはる。

www.zakzak.co.jp

上の本は図書館にないので、たぶん読まないと思います。少なくとも、『NHKへようこそ!』を読み終わるまでは読まない。ひきこもりの本を読みすぎてる気がして。以上

お彼岸の晴れ間は二日だけ

人形シリーズ 南町田編

今朝は雨でしたので、室内でラジオを聞きながらラジオ体操しました。ストレッチもして、後はたまった写真を整理したり、たまった読書感想を書いたり。ひたすらインドアの一日でした。

昼にはなかやまきんにくんの動画をやりました。ほんらい今日はお彼岸のお墓参りに電車に乗って行こうかと思っていたのですが、雨なので線香に火をつけづらいと思い至り、それで、後日改めて行くことにしました。といっても、彼岸明けまで、晴れの日は明日明後日しかないので、かなりタイトなスケジュールになります。

中村医師の映画を見に市役所隣のホールに行ったので、ついでに市役所食堂で昼食を摂りました。サラダとお刺身がつくと¥900で、つかないと¥600。ごはん大盛無料。

この日のおさしみはカンパチでした。

ゴハンとサラダなど。普通盛です。

本日の日替 A 豚と玉子のスーラー炒め どこが酸辣なのか分かりませんでした。かつて寿から浦舟方向に歩き出したところにあった中華料理屋(現在もありますが、中身がそっくり、全然関係ない人たちに入れ替わってます)のスーラー焼きそばが好きだったので、そういう味かなと頼んでみましたが、ちがった。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20170721/20170721235026.jpg

在りし日のスーラー焼きそば。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20161101/20161101234818.jpg

これも。

https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/s/stantsiya_iriya/20160608/20160608003035.jpg

これも。

おやすみなさい。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

県央シネマvol.85「劇場版 荒野に希望の灯をともす」په دښته کې د رڼا امید "Light Hope in the Wilderness." 劇場鑑賞

お彼岸前のお墓掃除をぶじ午前中に終わらせて、午後見ました。

百の診療所より一本の用水路を

د 100 کلینیکونو څخه 1 د اوبو لګولو کانال

One irrigation canal than one hundred clinics!

ーこれは「生きるための」戦いだー

دا د "ژوند" لپاره جګړه ده

This is a battle "for life".

アフガニスタンパキスタンで35年に渡り、病や貧困に苦しむ人々に寄り添い続けた、医師・中村哲

ډاکټر تیتسو ناکامورا، هغه ډاکټر دی چې له ۳۵ کلونو راهیسې په افغانستان او پاکستان کې له بې وزلۍ او بې وزلو خلکو سره مرسته کوي

Dr. Tetsu Nakamura, a doctor who has been close to people suffering from illness and poverty for 35 years in Afghanistan and Pakistan.

『天、共にあり』は英訳版"Providence Was with Us: How a Japanese Doctor Turned the Afghan Desert Green. "があるので、それで、なんとなく映画のタイトルだけでなく、煽り文句もグーグル翻訳してみました。英語と、パシュトゥー語で。パシュトゥー語は日本ではほとんど教材がないと思ってましたが、中村医師は、それも作ってました。九大図書館からpdfがDL出来るそうで。とんでもない。

実用パシュトゥ語会話 初歩の初歩 : 現地赴任者のための[1996年1月版] - 九大コレクション | 九州大学附属図書館

kouya.ndn-news.co.jp

www.youtube.com

おなくなりになられた直後のNHK放送ドキュメントでは、ナレーションが斉天大聖塚本晋也でしたが、今回は石橋蓮司

私は、令和元年九月に初めて講演を聞いて、同年十二月に訃報を聞いています。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

私も名前だけのペシャワール会会員ですが、わりと後付けで入ってるので、入ってから中村医師の著書をババババッと斜め読みして、①国会演説の米国批判が新左翼中心にウケたが、②特に井戸掘り時代ですが、ほかの国際NGOを援助金目当ての手抜き工事と罵倒し、信頼出来るのは自分たちとあともうひとつ西洋のだけ、と繰り返しやってるので、これは敵が多いだろうと思ってました。案の定講演会の質疑応答では、PMSの井戸は現在どれくらい稼動してるのですかという質問があったり、「言ってることとやってることがちがうじゃねーか」と大声出して走り去る男性がいたりしました。私はこの映画の最中も相変わらず途中意識を失ってましたので、国会演説と井戸掘りの場面があったか分かりません。ハンセン病で寝てしまい、目が覚めると用水チャレンジが始まっていた。

講演会では、著書とほかのアフガン関係の書籍を読んだスタッフからも、なぜPMSだけ容共ならぬ容タリバンなのか、あまりにほかと論調が違い過ぎて… という素朴な疑問がありました。なにしろ同じ福岡で、かつ同じ精神科医だった帚木蓬生サンまで、タリバン絶対悪の立場から本を書いてるくらいですので、PMSの、タリバン=田舎の神学生という位置づけは、外野から見ると、公平性を欠いてるのではないかと見えなくもない。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

それに対し中村医師は、とつとつと、タリバンのキリトリ風評被害、例えば、女性は医師の診察が受けられない、は、とんでもないデマで、男性親族の立ち合いがあれば男性医師の診察をふつうに受けられる、など、実例をひとつひとつあげて説明していました。患者の近親男性立ち合い前提なら、日本でもときどき破廉恥医師が引き起こす、麻酔や睡眠薬を使った性犯罪など起こりえませんね。理に適ってると言えなくもない。

そしてもうひとつ、中村医師は、あくまで自分たちが会ったり接したりした範囲のタリバンに対してこういう印象や考えを持っているとしています。イラン代表アジジみたいな顔立ちのハザラ人が虐殺されたとするヘラートなど西部でなく、PMSはあくまでパキスタンのトライバルテリトリーに近い、ジャララバード周辺で活動してますので、パシュトゥーンが多数派地域と、そうでない地域の違いもあるのかと思います。

この映画は、ほかとのいくつかのあつれきに配慮されているように見え、学校建設のくだりなど、例の別のNPOがやってる、ランドセル寄贈運動で送られたとおぼしき日本の中古ランドセルをひっかついだ子どもたちが映っていました。アフガニスタンにランドセルを送ろう運動、私は重くて機能的でないランドセルわざわざ送るとかだいじょうぶかとしか思ってないかったので、このあたり、現在は、井戸掘り時代とはちがって、ほかともwin-winな関係を築こうとしているのかもと思いました。電波ニュース社の編集姿勢がそれなだけなのかもしれませんが。

また、PMSが建設したモスクにはマドラサという宗教学校が併設されとある箇所で、マドラサ原理主義者養成所となりやすく、過激派の温床という見方があることを鑑みたのか、運営は現地にゆだねているとありました。何かあっても責任外。と、いうわけではないか。

サトウキビも栽培するようになったという箇所は、朝日新聞社の本『カラシニコフ』だったと思うのですが、ソ連アフガン侵攻時代、ソ連兵は村に入ってアフガン人女性を買う際、砂糖と交換でヤっていたとあり、どんな社会でも進駐軍相手に春をひさぐものがいる状態でないと営めない社会は屈辱的なので、メチャクチャ誇り高いというかプライドの高いパシュトゥーンがどう思ったか想像にあまりあります。黒糖自作の場面の歓喜を見て、どうしてもそれを思い出さざるを得なかった。

stantsiya-iriya.hatenablog.com

stantsiya-iriya.hatenablog.com

この映画には緑化後出現したバザールの場面があり、以前グーグルマップでバザールの口コミに、写真を撮ったり載せたりしないでくださいと翻訳出来たパシュトゥー語文章の書き込みがあったのを思い出しました。治安悪化をよそに一ヶ所だけ富むことは、それだけでならずものの流入を招きかねない。映画には出ませんが、マルワリード用水は書類偽造で乗っ取られかけたことがあるそうで、地元の役人がサーヒブ・ナカムラの味方になってくれたので防げたとか。そういうこともあって、親タリバンというわけでもないと思いますが。

チラシに、「専門家がいないまま始まった前代未聞の大工事は」とある部分、映画でも、現地の資金力とマンパワーのみで維持可能な工法で、というふうにちらっと書いてましたが、要するに専門家はあの日本のどこにでもある、コンクリでガチガチに固める護岸工事の工法しか出来ないので、なので頼れないというか、アウトオブ眼中という考えだったはずです。大金を投じて、補修不可能なほったらかし状態で終わることが目に見えている。井戸掘り時代にほかが掘ってすぐ枯れた井戸のコンクリ枠も至る所にあったでしょうし。せめて、江戸時代の技術者がタイムスリップしてたら、頼れたのでしょうけれど。

パワーショベル同士が川を挟んでグータッチする場面は、医師の逝去後のコロナカの光景だと思うのですが、よかったです。

すべての批判を覆す力が、ガンベリ砂漠の緑化前緑化後の映像にはあり、その資金のすべてを(三十億円でしたか)日本の支援者が叩き出し、最大限有効に使ってこましたという点で、こんな誇れることはざらにないと思います。鳴かぬなら、殺してしまへ不如帰。私は今でも、アフガン支援でバッティングする中国などが、協業を断られて、挙句凶行指嗾という線を否定出来ないのですが、何はともあれ、欧米人観光客が「フンザハット」と軽く呼ぶあの帽子をかぶった中村医師の映像を見れて、よかったです。

اوره په دی خاوره له کرونده کی بني او محبته خ څه نه کرو

以上

花粉症でマスクの人は、2020年春に売られていた(花粉症の季節が終わる前にマスク買い占め時代となり、意味をなさなくなりましたが)「私は花粉症です」プレートを再度つけるべきカ

人形シリーズ 座間編

今朝はラジオ体操に行って、帰宅してストレッチとなかやまきんにくんの動画をやって、朝食を摂って、砂利20kgの後、お墓掃除に行って、午後は市のホールで月イチでやる映画を見ました。平熱。

黄水仙と菜の花という、金のかからない花の組み合わせ。仏花代節約。

Arroz c/marisco
魚介類のペルー風パエリア

荒井商店の本ですと、"Arroz con mariscos" 複数形のエスがついてるんですが、この店はエスないです。

拡大。エビ、タコ、ムール貝、ホタテも隠れてます。私はセッコなどにミックスベジタブルが入ってると、なんか安っぽいと思ってしまうのですが、これに関しては目立たないのでよいと思います。

アヒ・デ・ヴェルデをかけたところ。ほかの店で、ソース名を聞いたら、「ロコト!」とひとことだったりして、ロコトとアヒの違いをまた思索する日々。

この店特有のキムチのような調味料の名前もまだ聞けていません。

食べました。これで、もう荒井商店の本の、スープとご飯類の箇所の感想が書けると思うのですが、せっかくなので、もう少し、いろんな店のチュペとパリウエラとメネストロンを食べてみたく。

以下、ビッグコミック感想。

表紙:兼近かと思った。

巻頭はグルメまんが。ぼる塾田辺が宣伝に出てきており、以前出て来たはんつの人の人妻シリーズにも出るのか出ないのかと思いました。

回転寿司を仕事場にするってのは、さすがにないと思います。うるさいでしょう。特に某店だとガチャというかスロットというかがあって、老婦人がバンバン目押ししたりしてるし。

次が松本零士訃報。へんなゴージャスメーテルの絵。

次はズージャ。アンワルって、タイ人でしょうか。それともインドの、ヒンディーでない、どこかか。

次の宗像は狼の話。ビタミン補給のためお茶を愛飲するようになって、それで遊牧民が農耕民に依存するようになって没落し出したんでしたっけ。忘れた。

不動産まんが。コロナカで収入が減って家賃が払えなくなった話とは別ということで。

帰って来た相撲まんがは連載開始早々三十代で怪我で休場で、先の読めない展開。じゃあ引退かというふうにすんなりいったら驚きます、たぶん。

日露戦争物語は、正規軍がお互いの戦いで疲労した後、民間軍事会社登場に1ペリカ

湖底リベンジャーまんがも、先行き不透明。

EDまんがは、第三の要素、刑事が動いてイイほうに転がるに0.01ペリカ

島原の乱まんがを、天草の乱まんがと言い間違えました。家光が死んでめでたしめでたしにはならないんだろうな。あと十年以上生きる。

次の読み切りは、まったくオチが落ちてないと思いました。線が引かれた古本と何の関係もない。

バスケまんが。先日太田に行ったのですが、街を埋め尽くすクレインサンダースの広告の、どれかがアレン選手だったんだなと思いました。現地ではよく見ず、気づいてません。

登山漫画。『天路の旅人』を読んでいて、沢木耕太郎サンも山野井泰史サンを書いていたと知りました。でもこのまんがの原作者は別人。読み比べると、それなりに違うんでしょうか。

電子版はないかったです。

ダンプ松本まんがは、現実のこの髪切りマッチを知らないので、なんとも。衝撃だったん、だろう、なあ。

四コマ漫画。マスク外してもいい、個人の自由と言われても、花粉症の人は外せないと思いました。いい時期におもしろい指針を出すものだ。花粉症の人はちっとも面白くないと思いますが。

ゴルゴは、白土三平リスペクトな展開な気がします。ナントカ車。

ちばてつや漫画。次回は松本零士の話になるのかな。

おやすみなさい。

今日も、明日も、穏やかに、静かに、落ち着いて、平和に。そして、出来ることなら、自分も周りもみな、しあわせにすごせますように。

『氷の回廊 ヒマラヤの星降る村の物語』"ICE CORRIDOR: The Story of Himalayan Starry Village." by Yasuji Shoji 庄司康治 著 読了

app.famitsu.com

www.youtube.com

上のゲームとは関係ありません。

&ロケッツでないシーナの人のパートナーサンともうひとりの人の本『バター茶をどうぞ』を読んだら、本書と同じ文栄堂サンという出版社から出版の声がかかってうれPと書いてあったので(そうは書いてませんでしたが)それで読んだ本です。

氷の回廊 : ヒマラヤの星降る村の物語 (文英堂): 1998|書誌詳細|国立国会図書館サーチ

ザンスカールという、チベットを馬で行った女傑もその時点ではまだ行ったことがない地方を舞台にした写真と文章の本です。

dic.nicovideo.jp

ザンスカール帝国 - Wikipedia

レーという街が中心だそうで、レーには王宮があったので、それで帝国なのかと思いましたが、関係ないそうです。goo.gl

レーとラダックって遠いんだっけ?と思って検索したら、ラダックとザンスカールはニアイコールみたいな感じで、ラダックの中心がレーでした。エジプトの太陽神はラー。

インドらしくないインド「天空の楽園ラダック」

www.youtube.com

よく分かりませんが、きょう発売の岩波文庫ダライ・ラマ六世詩集の帯イラストを描いた、藏西という方のホームグラウンドではないかと。

著者の庄司康治さんという方は、西木正明サンや船戸与一サンの系譜の方で、角幡唯介サンのパイセンのようです。1997年5月にここを題材にしたNHKスペシャル「氷の回廊」放送を成功させたとか。あとがきに、企画の相談相手野地耕治サン、題字を書いた友人の水島共与サン、文栄堂の中島稔晃サン、萬俊サン、デザイナーの白尾隆太郎サン、NHKエンタープライズ21の岩田政明サン、ほかに謝辞。また、書中にも登場する、朝倉英道という、夭折した友人への謝辞も。本文中になんだか知らないが星野道夫サンの名前が出ます。

goo.gl

ここが舞台です。文明の進歩は素晴らしく、厳冬期に凍った河川を通ってしか外界と通捗が出来なかった集落が、今ではグーグルマップの質問に、どうやったら自転車で行けますか? と書き込みされるくらいになりました。誰も回答してないので、「あきらめろ」とか「㍉」とか、誰か書いてあげるといいと思います。今では村人も、ぜったいヤクの放牧しながらスマホいじってると思います。自治区同様に。

厳冬期に凍った河川を通ってのキャラバン同行が主題の本かと思いましたが、そうでもなかったです。この村では今でも伝統や古典的な家族、共同体が生きている、というお話は、即、外界との接触で化学変化が起きて、フリクション、変容の物語になりますし、そこでは精神的なバイアスとその解消がとても重いテーマになりますので、そうした続編があれば読みたいです。以上