『反逆の神話 カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか』読了

ツイッターでこの本紹介してる人がいたので、読みました。

反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか

反逆の神話:カウンターカルチャーはいかにして消費文化になったか

表紙のゲバTがすべてです。絵は口ほどにものを言う。
Rebel Sell

Rebel Sell

でも原書だとTシャツでなく、スタイロフォームカップでした。
Nation of Rebels: Why Counterculture Became Consumer Culture

Nation of Rebels: Why Counterculture Became Consumer Culture

米国版はゲバラですらない。モヒカン兄ちゃん。

原題"The Rebel Sell"は「反逆の商売」、米国版"Nation of Rebel"は「反逆者国家」、
と、訳者あとがきに明記してあるのですが、邦題「反逆の神話」がどこから出たか、
それには触れられていませんでした。原書はカナダですが、
先にウェブで発表されてたので、それほどカナダに意味はないかと。
いや、マイケルムーアのボーリングフォーコロンバインで、
米国とカナダの銃所有を比較するくだりの欺瞞、ウソデータ、恣意的な捻じ曲げ、
を激烈に批判する場面があるので、やはりカナダに意味はあります。
ボーリングフォーコロンバイン、観たけど覚えてないのですが、
この本によると、銃規制にややこしい理由から「反対」する映画だそうで、

頁391を受けて頁395
 これこそが僕らがカウンターカルチャーの重罪と呼ぶものの典型例――つまり、ラディカルさが足りないとか人々の意識を充分に変えないという理由で、現実の社会問題に有効な解決策をはねつける傾向だ。

頁396
ぼんやりとしたユートピア的思想よりも、集団的福祉を優先する進歩的な団体もある。問題は、こうした人たちがしばしば右派よりも左派の朋輩から非難されることだ。

これがこの本の主題だそうです。カウンターカルチャーが売れる商品、
クールな商品を販売することは、ヒッピーはヤッピーだからおかしくないそうで、
同じ資本主義の枠内で、そのルールにのっとってやってるだけだから、
当然そうなるということ。労働搾取工場、スウェットショップで作ってるんじゃないし、
アジアからの輸入も、フェアトレードで、倫理的エシカルマーケティングだから、
いいじゃないかったって、そんなのスタバだってやってることじゃん。
どこが革命なの? て感じの本のように見えます。批評とは、どれだけ装飾するか、
ではないはずですが、とにかくよく散りばめてある。SUVがキライみたいで、
頁7に他の人の引用で、「車輪で動けるゲーテッドコミュニティ
と書くのを皮切りに、何度も、その四輪駆動は全然自由への逃走とかじゃないから、
と攻撃してます。ワゴンのほうがゲーテッドだと思うのですが、土禁とか、
北米にはない文化なんでしょうね。アルファード、ベルファイア、ノア。四駆ではない。

ボーリングフォーコロンバインは覚えてませんが、世界貿易センタービルに、
ジャンボ旅客機が突っ込む場面をパンキッシュに挿入してるのに、
華氏911では、犠牲になった勇敢な人たちの遺族の肩を抱いたりして、
阿ってるなあ、日和ったな、と思ったのを覚えています。確かに、
全米ライフル協会を非難しながら、敵はイドの怪物、みたいに逃げて、
煽情的な音楽で観客を流してたかもな、と、おぼろげにそんな気もします。

左が左に絡まれるというと、オリバーくんに米国共産党が絡みまくった、
JFK論争を思い出します。最初は右対左だったのが、右が退場して共産党が出てくる。
日本と違って人格攻撃と感情的な非難はなかったですけど、偶然かな。

カウンターカルチャーはじゃあ、売れる商品作っちゃいけねえのか、
どうしろってんだ、的なジレンマに対しては、冒頭がカート・コバーンの最後で、
たぶん(それでも)生㌔ってメッセージだと思います。あと、頁177で、
ルー・リードのメタルマシーンミュージックを出してます。
糊口を凌ぐのもいいかもしらんが、本質はしらふで社会を変革することだろ、
って言いたいらしいです。金儲けやジャミングじゃないだろって。

著者ふたりがカナダ人ってことがよく分かる記述がもう一ヶ所。
頁73、感覚を鈍らせ静まらせるアルコールは、まったくの合法だ。ソーマのように労働者階級をなだめるために使われる。
この後禁酒法も付け足して書いてますが、ドライステートのないカナダだなあと。
この箇所の趣旨は下記ですけど。テッドとかシャレだって気付いてほし。
頁73、マリファナが精神を解放するとの考えは、マリファナで頭がぼーっとなった人くらいしか信じないようなことだ。まともな人なら、マリファナ使用者が世界でいちばん退屈な話し相手だと知っている。

しかしなぜ人は、かっこいいものを求め、ダサいものを嫌うんだろう、
という考察の個所に出てくる絵。

ポーカーをする犬(Dogs Playing Poker) Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%82%92%E3%81%99%E3%82%8B%E7%8A%AC

頁198、訳者の才能だと思いますが、フルメタルジャケットのあのヘルメット、
「生来必殺(born to kill)」とあり、あの文は四文字熟語に訳せると分かります。

カウンターカルチャーは当然ナチのような全体主義への反発から来てるので、
上のマックCMをこの本がおちょくった時、ウェブでは、
著者二人はマイクロソフトの回し者と評されて、この本の補遺で、
二人はリナックスユーザーであることを明かしています。
そもそもマイクロソフトを擁護する意図はなく、
反逆のイメージをおちょくりたかっただけなんだ、というわけですが、
ネットでは永遠に読解力に差のある人が尽きないので、最後は、
頁399、そういうことじゃない、もう好きにしてくれ。で終わります。

人と違ったことがしてみたい、けどダサいのはイヤだ、
人と違ったことがカッコいいことだと、みんなやり出すし、
正直カッコいい人が見向きもしない、それはちょっと自分もやりたくない。
で、それをみんながやり出すと陳腐になるから、次の、まだ誰もやってない、
新しい、また人と違ったカッコいいことが現われる。
これはカウンターカルチャー特有の現象でもない、普通の消費行動だが、
カウンターカルチャーの物販もこれを利用してるよね、てな部分で、
スタートレックは制服ばかりで、ブレランのような種々多様なブランドがない、
という記述があったのですが、そもそも比べるのが無理があるような…
ビーム光線がブルザープと音を立てるアメコミ読んでるダサいガキ、
自分に自信がないガキのライフストーリーに、スタートレックはどういう位置を占めるか。
私は2010年宇宙の旅で、ピザと缶ビールとか大リーグ優勝の話とかの場面は、
まったく要らない、2001年に対する冒瀆だと思った記憶があります。とほほ。

読者のための読書案内があり、原書のそれは諸事情により割愛で、
邦訳独自に編纂したものがついてるのですが、イリッチもブルデューもなく、
本文中にはけっこう出てくるのになんでなん、と思いました。
グラムシとかは私もしらない人なので、なくても忘れてしまいますが、
前二者は知ってるので、不思議に思います。あと、ネグリとかも本文中に出てきますが、
とりあえず出したかっただけなんちゃう、と思いました。
だから読書案内にネグリはない。以上

【後報】
書き忘れましたが、作者も、本気で清教徒的な潔癖さを求めてるわけでなく、
(カナダだし)おちょくりたかっただけだと思いました。装飾華美だし。
で、資本主義下の左翼勢力の現状をあらわす具体例のひとつが物販ですが、
別に物販止めても何も変わらないから、売ればいいと思います。
ユニフォームの意味については本文で十二分マイナス二分くらいに語り尽されてるし。
(2015/10/19)