『隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民』(ちくま文庫)これから読みます →読了

装丁 南伸坊 装画 Leon James Derschow "Honey Ant Dreaming" 解説は池上彰

単行本は2005年同社刊 註とあとがきと文庫あとがきと参考文献一覧あり

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民 (ちくま文庫)

隣のアボリジニ 小さな町に暮らす先住民 (ちくま文庫)

 

 いわずとしれた『妖精の守り人』著者による本業というかダブルワークのフィールドワークの記録。しかし私はこの人は、同じく文化人類学者で漫画家兼業である都留泰作の角川新書で知ったくらいで、守り人シリーズも一冊しか読んでないです。NHKでさんざん、綾瀬はるかバルサバルサと、FCバルセロナでもバルサ材でもバルサミコ酢でもないバルサで、全員日本人なのに無国籍ファンタジー小林旭だけにしてください、とは思いませんでしたが、そんなレベルです私は。

『〈面白さ〉の研究 世界観エンタメはなぜブームを生むのか』 (角川新書)読了 - Stantsiya_Iriya

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 冒頭でまず語られるのが、ノーザンテリトリーダーウィン近郊などの「本場」の「濃ゆい」アボリジニでなく、西の果て、パース近郊に、小学校教師として日本を紹介するプロジェクトの一環を兼ねてやってきた著者が、広大かつ人口希薄なオーストラリア都市「郊外」で白人(やレバノン系などの新移民も入る?)と、混住する、アボリジニ(の血も引いている人々)の姿をスケッチしようという試みが本書でおま、という断り書きです。

ダーウィンといえば、鶴見良行『ナマコの眼』で、「国境」という人為的なくびきで分断されているが、オーストラリア北部海浜部の「アボリジニ」と言われる人々と、マカッサルなどのインドネシア多島海に暮らす人々とでは、人名など、共通する部分も多いという記述を読んで、フーン("´_ゝ`)と思っていたこともあったのですが、そっちの、エスニシティに関するわりと過激なものを好むというか、鶴見良行から何故か思考が山内昌之スルタンガリエフの夢』に飛んだりする私をいさめるような、穏やかな記述が広がるんじゃないかという予感のする本です。ホントはもうとうに読み終わるはずの雨の午後が午睡で終わったので以下後報。

Google マップ

【後報】

アボリジニ - Wikipedia

頁16、出だしでまず、アボリジニとじゅっぱひとからげにされたオーストラリア先住民が、二百五十以上のまったく通じない異言語集団に分かれていて、その数は方言差も含めると六百以上にもなり、それをぜんぶ「アボリジニ」といっしょくたにしてしまうのは、日本人も韓国人も同じオリエンタル、みたいな話だとしています。ちょっとニュアンスちがうかな?アメリカ先住民をぜんぶインディアン、インディオと呼ぶ方が近いか。著者の調査地の民族は「ヤマジー」で、その中も、「ワジャリ」「バディマヤ」などの異なったエスニシティの人々に分かれるんだそう。

頁94、アウトバックというと、海老名にもある、お誕生日サービスのあるステーキチェーンですが、オーストラリア内陸を指す言葉なんですね。知りませんでした。

アウトバック - Wikipedia

https://www.outbacksteakhouse.co.jp/

職場で人気が高いのはタワラ。

ステーキハウス タワラ 用田店 - 門沢橋/ステーキ [食べログ]

私が時々行くのはバッファローキング。

ステーキハウス/バッファローキング

頁96から、優遇措置を受けるアボリジニに対する白人の目、先鋭的な一部のアボリジニに対する白人の反発の記述があります。こういうのはどこ行っても変わらないと思います。北海道でも聞かされる話。ペンション・デイは、年金の出る日という意味だけでなく、失業手当が出る日でもあるとか。

頁192、アボリジニからも、現在のそうした福祉漬けの現状(でも将来の展望がないので子弟は勉強しないで刹那的に遊び回る)と対比して、昔の、白人は失業手当や家族手当があったがアボリジニはロクになかった時代のほうがみんな勤勉に働いてよかったとする追憶も出ます。勿論いいことばかりではなく、白人の若い男が連れ立って車で若い女性をヤリにきて、ブッシュに手を引っ張って連れ出してしまうとか、いろいろあったそうですが、同じ給料を払わなければならなくなった途端アボリジニがぜんぶレイオフになったこと、それから私が印象的だと思ったのが、むかしはアボリジニは飲酒が許されていなかった、今はみんな飲んだくれてアル中ばっかりという記述です。

特定の民族が、宗教上の理由からではなく、国家から飲酒を禁止されるなんてことが、あるんだなあと。狩猟採集社会で、独自の飲酒文化を持っていなかった、醸造酒も蒸留酒も作ってなかった、からだと思うのですが、どうだろう。口嚙み酒やヤシ酒みたいなものもなかったんだろうか。

頁215に、白人青年の声として、なんで先祖のやったことをえんえん子孫代々謝罪して、それでも憎まれなければならないんだ、という主張が記載されます。自力更生しろよと。マイノリティーが個としての脱出に向かう際、スポーツ、芸能、医者や弁護士などの資格をとる、方向になりふり構わず努力する、トライする民族もいると思いますが、そうした人たちはそれなりの文化資本がやはりあるのではないかと思います。アボリジニには、そこで牽引役となる突出した個の存在、ヒーローが求められているのではないかと、読んで思いました。

このフィールドワークが二千年までになされ、二千十年の文庫版あとがきでは、シドニー五輪に伴うきらびやかな表向きの先住民優遇の後の反動、現地の言い方で「バックラッシュ」があり、その後、また労働党政権が出来、公式謝罪があり、という政治面での経過も語られます。レバノン系など、新移民もまじえた多角的な関係が現在ではあると思うのですが、そこまでは踏み込めなかったか、新しいフィールドワークが必要なのだと思います。守り人で忙しすぎたというのもあるみたいで。そこで関係各位への謝辞と、主な参考文献。池上彰は、まあ、概説です。刺身のツマみたいな、売るための名前貸しみたいな。

私は、アボリジニというひとつの巨大な民族がいると思い込んでたくらいのレベルですので、大いに感銘を受けました。よかったです、読んで。以上

(2019/10/22)