『フルハウス』(文春文庫)読了

 神奈川近代文学館の常設展で、柳美里のこの作品がハマの作品ということでしたので、読みました。同じ理由で読んだのが村上龍『テニスボーイの憂鬱』

フルハウス (文春文庫)

フルハウス (文春文庫)

  • 作者:柳 美里
  • 発売日: 1999/05/07
  • メディア: 文庫
 

 装画・望月通陽 AD・関口聖司 解説は山本直樹 掲題作の初出は文學界平成七年五月号 併録の『もやし』は群像平成七年十二月号 単行本は平成八年六月同社刊

フルハウス (文春文庫)

フルハウス (文春文庫)

 

 柳美里は、エッセイを少し読んだことがあるのかな。すっすっはっはっは読みました。芥川賞の家族シネマは読んでません。家族ゲーム森田芳光ので見ました。チュウチュウ出来ないじゃないか。

私は彼女が在日コリアンであることを知っていて、韓国文芸界と軋轢があったことも当時の報道で読んでいます。ので、この話の冒頭で、父親が十数軒支店を持つパチ屋の支配人だとか(頁13)、十歳歳下の妻を殴った回数とか(頁34)、建てた家の代金を土建屋に払ってないので玄関の鍵を渡してもらってないモリカケ以下略とか(頁38)下記とか、

頁22

父は禁煙パイポをくわえてスピードをあげずに注意深く街を通り抜けてゆく。車は少なく、歩道にはひとっ子ひとりいない。父はラジオのスイッチを入れ、アクセルを踏んで赤信号を無視した。 

 さらに下記とか、("´_ゝ`)フーンとたかをくくって読みました。

頁52

華やかに笑った女の頬骨の盛りあがりに気づき、私はそれを父の笑顔に重ねた。やはり父方の親戚だろう。 

 2ちゃんねるの初期ハンボードは、匿名掲示板であるのをいいことに、在日コリアンが日本人的視座で(仮)に書いた事例が多かったのではないか、それで、それまで彼らのうちうちだけで流布していたジョークが、ここから彼らの思惑を越えて大きく世間一般に流布していったのではないかと類推してるのですが、この頬骨など、まさにそうかと思います。こんなアイコン、インターネット以前はさほど知られてなかったと思う。事実と異なるし。それが、嫌韓流では、全在日&本国キャラ共通の容貌として描かれるまでになる。

そして、たとえば、初期の書き込みでは「~ニダ」に並んで、「~スミダ」がけっこうあったのですが、私も含めて、日本人には使い分けどころか「~スミダ」の意味知りませんので(方言ですか?)、ニワカ急増後は「~ニダ」一辺倒となる、といった変容があったと思います。

といったようなことをここまでは考えられたのですが、これ以降、この小説は、こう書くと読者は戸惑う、こう書くと読者は面食らう、という参考書でも読みながら書いたかのように、どんどんパラサイトや万引き家族にもつらなる、意外性の連続ばかりになります。チャン・リュルやホン・サンスの映画で見たのと同じ演出。ほんとにそういう虎の巻があるのかもしれない。それまでも通行人の描写にその片鱗があるのですが、中盤以降そうした人物たちに家族が乗っ取られる。

併録された『もやし』は、上記テクニックを駆使してますぅ、みたいな小説で、

頁143

「だってあれでしょ、普通の主婦が神がかって新興宗教の教祖になるのって、みんな五十前後でしょう、閉経期」 

 とか、その五十歳くらいの主婦(主人公の不倫相手のワイフ)が気球に乗った少女を水彩画で描いてたり、もやしも家中の棚で栽培してるわけですが(クローゼットやら靴箱やら)ちゃんとエビアンで育ててるわけなので、そりゃ金がかかってて豪勢だなと思います。うちの近くのどぶ川もクレソンが生えてくるのですが、生活排水が流れこむ環境で育ってますので、栄養富裕豊富な水というか、他人の台所で食器を洗って食べかすを流したお湯と台所用洗剤と洗濯のすすぎと風呂の湯をたっぷり吸ってすくすく育ったクレソンなぞ、誰が食べようと思おうかなので、エビアンいいじゃんいいじゃんと思います。

解説の山本直樹は、正直に書かれてると思いますが、創作家が批評を的確に書き出したら、自分の筆がとまってしまい書けなくなるそのとおりに、何を書いてるんだこの人、という感じの文章に終始してました。わざとだと思う。大学時代のレポートみたいに書けばよいのにこの人(レポート讀んだことありませんが)と解説読みながらにやにやしました。たぶん「レッド」つながりでこの人に解説の仕事がまわったのだと思いますが、村枝賢一に回してたらどうなったでしょうか。断ったかな。

表題作は西区の六畳二間と四畳半の家で、父が性癖で盗んでくる他家の盆栽などが所せましと並んだ環境から、開発いまだならずの、空き地だらけの港北ニュータウンの豪華な一戸建て(パチ屋の支配人で月収八十万なのに工賃未払い)に越して来る話ですが、村上龍の『テニスボーイの憂鬱』と異なり、ハマ郊外である必然性は感じませんでした。どうでもよさげ。それがその時点の柳美里のスタンスで、それがその後ベストセラー『命』などで変わったことは周知の件と思います。そうやって知ったように書く私は『命』四部作すべて未読。

神奈川近代文学館では、ほかに、島田雅彦が一貫して川崎郊外であるとありましたが、河岸段丘を散歩するインスタくらいで、川崎郊外をねちこく描いた作品の紹介はなかった気がしますので、読まなくていいです。バンザイ\(^o^)/助かった。以上