ボーツー先生が今世紀初頭に毎日新聞で一年間連載していたエッセーをまとめて本の雑誌社から出した本*1を読んだら本書収録の『剃刀』という話が出て来て、それで読もうと思って図書館で借りました。読んだのは平成23年(2011年)九月十五日の七十刷改版。初版は昭和四十三年(1968年)同月同日。カバー装画は熊谷守一という人。装幀は新潮社なので新潮社装幀室。

巻末に遠藤祐*2という人の注解と高田瑞穂*3という人の解説。全18篇収録。私は志賀直哉という人の作品を考えたら読んだことがなく、島崎藤村とごっちゃにしてる気もします。どちらも「シ」から始まる。
明治37年の『菜の花と小娘』から大正3年の『児を盗む話』まで、著者の作家的自我確立の営みの跡をたどる短編集第一集。瓢箪が好きでたまらない少年と、それをにがにがしく思う父や師との対立を描く初期短編の代表作『清兵衛と瓢箪』、自分の努力で正義を支えた人間が、そのために味わわなければならなかった物足りない感じを表現した『正義派』など全18編を収録する。
志賀直哉という人は金銭面での苦労をしたことが(この時点では)なかったのだろうかと思うくらい、かんたんに引っ越し魔らしく引っ越そうとしたり、旅に出たりします。父親は実業家で倹約家、息子は定職に就かず浪費家ということだったらそりゃ苦々しく小言を絶えず言われるだろうなと。実業家子弟の遊民・ボーツー先生にとっては共感出来る点だったのかも。明治大正の上級国民であったことは間違いない志賀サンの自伝的作品の数々に混じって、純然たる創作の宝石・スマッシュヒット『清兵衛と瓢箪』が読めるという仕掛けです。カラオケの定番ソングを収めたアルバムを買ったら収録曲の大半がイヤな自分探しの弾き語りだった、みたいな感じ。筆致力は均等にあるんですが、やはり『清兵衛と瓢箪』のように一般受けして教科書に載るような世俗的名作は特異点、偶然の産物だったと思います。
収録作品は下記。
- 『菜の花と小娘』明治37年(1904年)5月執筆。『金の船』大正9年(1920年)1月発表。
- 『或る朝』明治41年(1908年)1月執筆。『中央文学』大正7年(1918年)3月発表。
- 『網走まで』明治41年(1908年)8月執筆。『白樺』明治43年(1910年)4月発表。
- 『ある一頁』明治42年(1909年)9月執筆。『白樺』明治44年(1911年)6月発表。
- 『剃刀』明治43年(1910年)4月執筆。『白樺』明治43年(1910年)6月発表。
- 『彼と六つ上の女』明治43年(1910年)8月執筆。『白樺』明治43年(1910年)9月発表。
- 『濁った頭』明治43年(1910年)9月執筆。『白樺』明治44年(1911年)4月発表。
- 『老人』明治44年(1911年)2月執筆。『白樺』明治44年(1911年)11月発表。
- 『襖』明治44年(1911年)8月執筆。『白樺』明治44年(1911年)10月発表。
- 『祖母の為に』明治44年(1911年)12月執筆。『白樺』明治45年(1912年)1月発表。
- 『母の死と新しい母』明治45年(1912年)1月執筆。『朱樂』明治45年(1912年)2月発表。
- 『クローディアスの日記』大正元年(1912年)8月執筆。『白樺』大正元年(1912年)9月発表。
- 『正義派』大正元年(1912年)8月執筆。『朱樂』大正元年(1912年)9月発表。
- 『鵠沼行』大正元年(1912年)11月執筆。『文章世界』大正6年(1917年)10月発表。
- 『清兵衛と瓢箪』大正元年(1912年)12月執筆。『読売新聞』大正2年(1913年)1月1日付掲載
- 『出来事』大正2年(1913年)8月月執筆。『白樺』大正2年(1913年)9月発表。
- 『范の犯罪』大正2年(1913年)9月執筆。『白樺』大正2年(1913年)10月発表。
- 『児を盗む話』大正3年(1914年)1月執筆。『白樺』大正3年(1914年)4月発表。
あとがきに初出、執筆時期一覧があったので写しましたが、西暦の併記がないかったので、国立公文書館の下記を参考に付けたしました。
『菜の花と小娘』明治37年(1904年)5月執筆。『金の船』大正9年(1920年)1月発表。
高等科の時、上総の鹿野山にひとりで行って書いた小説とのこと。
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純然たる創作でメルヘンで、オッサンの早熟な感性ときらめきが伺える佳品デス。ミュージックライン。
『或る朝』明治41年(1908年)1月執筆。『中央文学』大正7年(1918年)3月発表。
自伝的作品。母を早くに亡くして祖母に世話される実業家の長男が、朝寝をしようとねばる話。妹弟はとっくに起きて遊んでるし、朝食は召使いの上げ膳据え膳だし、その日は祖父の三回忌なので羽織袴を着たりお坊さんや来席者に挨拶したりこまごまとした飾りを手伝ったりやることはいろいろあるのに、深夜一時過ぎまで寝床で小説を読んでいて眠たいので、相手が老人と年下のこどもなのをいいことに、しょうもない口答えばかり繰り返して言うことを聞かないわがままな少年の姿を、ねちこく書いています。自分の振舞を一切正当化することなく客観的に世間に批判されるべきは批判されるように書いてます。「ぼん、ぼんは露悪趣味やな、せいかてそない自分を責めんかてええんやで」と言ってあげたくなりますが、金持ちのクソガキぶりが鼻につくのでやはり言いたくないという。
『網走まで』明治41年(1908年)8月執筆。『白樺』明治43年(1910年)4月発表。
自伝的作品。ブンガクなんぞにうつつを抜かしてる有閑階級子弟の青年が、お金の苦労をしたことないのか、「そうだ、日光行こう」と思いついてすぐ汽車に乗ったら、青森行きのその汽車の相席に、乳飲み子とヤンチャな盛りの、ちょっとクセのある男の子を連れた女性が乗り込んできて座って、網走の亭主のところまでゆくと云う。
こういうことなのかどうか知りません。
頁27
「自分で出して、おあがんなさい」といって母は胸を開けて乳首を含ませ、帯の間から薄よごれた絹のハンケチを出して自分の咽の所へ挟んでたらし、開いた胸を隠した。
男の子は信玄袋の中へ手を入れて探って居たが、
オナクラクンに『清兵衛と瓢箪』を読ませようとしたところ、三行で力尽きたので、エロなら読めるかと思ってこの部分を読ませたら、信玄袋を金玉、陰嚢のことだと解釈してました。
『ある一頁』明治42年(1909年)9月執筆。『白樺』明治44年(1911年)6月発表。
自伝的作品。ブンガクなんぞにうつつを抜かしてる有閑階級子弟の青年が、お金の苦労をしたことないのか、イキナリ風雲児よろしく京都に現われ、部屋を間借りしようとあちこち「部屋貸します」の貼紙の長屋を尋ねるが、貧乏くさい部屋だったりなんだったりで、次第に京都の毒気にあてられ、げんなりして京都移住を断念して日帰りで帰京する話。
志賀サンの頃はまだ日本語の近代文語がカッチリとスクウェアに固まってなかったので、「不図(ふと)」とか「乃公(おれ)」とか「迚も(とても)」のような漢字のあてがきが顔を出します。「本当(當)」を「本統」を書くのも志賀流。「厶いやす(ございやす)」とか「厶います(ございます)」といった言い回しがこの小説には多く出ますが、何故かすべて標準語です。この時点から四年後に執筆した『清兵衛と瓢箪』では舞台の尾道を意識して広島弁でせりふを書いてますが、京都弁を書くことに自信がなかったのか、本作では京都人の会話もすべて標準語です。
『剃刀』明治43年(1910年)4月執筆。『白樺』明治43年(1910年)6月発表。
純然たる創作ですが、「床屋が剃刀で客ののぞを掻っ切る」というサマリだけが巷間流布されているのに対し、かなり実物は具象的な小説です。もっとメンヘラで抽象的な話かと思った。床屋は腕の立つ所帯持ちで自分の店を持っていてふたりも雇って使ってるのに、使用人がイマイチ使えない(でも手癖は悪いのでお代をちょろまかさないか監視する必要はある)のでイライラしてる上に繁忙期で、自分も体調を崩して風邪をひいているという、納得のいく理由がどんどん積み重ねられます。けして「太陽がまぶしかったから」とかそういう不条理な理由ですっとかみそりをひくわけではない。
『彼と六つ上の女』明治43年(1910年)8月執筆。『白樺』明治43年(1910年)9月発表。
自伝的作品。ブンガクなんぞにうつつを抜かしてる有閑階級子弟の青年が、年上の女性と付き合ってるが、相手は彼が金持ちの総領の甚六だから付き合ってるわけでなく、明治なのに大正のモガ先取りの自立した女性だったという。アンミカとマツコデラックスを足して二で割った感じでしょうか。逆に女性に溜まってる本代のツケを払ってもらったりして、青年まことにカッコ悪いです。自分の振舞を一切正当化することなく客観的に世間に批判されるべきは批判されるように書いてるので、「兄やん、兄やんは露悪趣味やな、せやかてそない自分を責めんかてええんやで」と言ってあげたくなりますが、ええ衆のクソボンぶりが鼻につくのでやはり言いたくないという。
『濁った頭』明治43年(1910年)9月執筆。『白樺』明治44年(1911年)4月発表。
『彼と年上の女』にさらにキリスト教など自伝的要素をスパイスし、こねくりあげて創作にした作品。夫と死別した出戻りの若い親戚の女性が手伝いに来ていて、その女性と深い仲になる主人公は、成長期にはそれなりにスポーツなど体を動かすことにも親しんでいたのに、文学にハマってからは一切フィジカルな活動をやめてしまう変人です。さかりのついた親戚と口実を作って夜自室で会って、性交に雪崩れ込むまでの描写は読ませます。経験のある女性に腕力で押し倒される主人公。しかも主人公は自作のソフト官能小説みたいのを相手に朗読してハナからその予感のあった相手をすっかり欲情させてしまうという、劇中劇みたいな構造で。
当然家族に知れて、勘当というかいずらいというかで二人手に手を取って逐電、愛の逃避行としゃれこみますが、お金は彼女の亡夫の遺産金で、どこかの街に腰を落ち着けて働くとかそういうことはなく、日々お金を食い潰して引っ越し魔らしく宿から宿、温泉から温泉へと散財旅行の生活に耽ります。バックパッカーが異口同音に言ってますが、旅が生活になってしまうとちっともおもしろくない法則がふたりにも発動し、倦怠とはまたちがった閉塞感がふたりを包みます。
そこから後の展開、主人公が女性を殺して狂ってしまうのが現実味のないそらぞらしさで、こうしてしまった以上失敗作なのかなと思いました。ふつうに捨てられるor捨てるだけでいいのに。フィフティフィフティの別れは、こういうケースでは、まあ、ないだろうので。
明治であっても、男女がデキる場面には皆テクも想像力も凝らして頑張るんだなあという小説です。「なぜそこで布団を敷く」「なぜ湯上りでほんのり薄化粧なのだ」等々、面白かった。
『老人』明治44年(1911年)2月執筆。『白樺』明治44年(1911年)11月発表。
創作。解説によると、四百字原稿用紙八枚にどれだけクロニクルを詰め込めるかの勝負だったとか。実業界で父親経由で見聞きした実話のような気もしないではないですが、発表したら相手に知られるかと思うとそうそうリアルに書けないでしょうから、やはりフィクションなのかな。若い後妻をもらった老人が逝去してマオトコがその座を占める迄。
『襖』明治44年(1911年)8月執筆。『白樺』明治44年(1911年)10月発表。
自伝的作品。箱根の宿に家族で長逗留、繁忙期なので襖ひとつ隔てた隣の間に別の家族がやはり長期滞在。それぞれの子どもがまず親しくなって、ふと気がつくと、先方の子守り娘とこちらの長男(志賀サン像が投影されたぼんぼん)があだち充のマンガのように視線をかわしあう仲に。タッチ、タッチ、そこにタッチ。あなたか=らー♪。夜更けに自身でも気づかぬリビドーに導かれて、二つの部屋、二つの家族を分けるふすまがスーと開く… ご主人様の旅行に付き添った召使いのひと夏のリゾラバ、どうなりますことやら(棒 くどくど自分の悪行を批判されるように書き連ねることに熱心な志賀サンですが、さすがに「私、遊ばれちゃったんですかあ」という展開を明治エラに書けるのか。乞御期待、みたいな。
頁164に「一閑張り」ということばが出て、注釈によると、「材料に紙を張り漆を塗ったもの。寛永のころわが国に帰化した明人飛来一閑(1578~1657)の伝えた技法」とのことで、飛んできたからヒライサンなのかと思ったら、「ひき」と読むそうです。比企。
飛来サン一家とは別に、靈元天皇から賜った「泉王子」姓の一族もいて、一子相伝スゴいデスネと思いました。中国にとどまっていたら絶対一子相伝という発想はなかったでしょう。
『祖母の為に』明治44年(1911年)12月執筆。『白樺』明治45年(1912年)1月発表。
自伝的作品。祖父の死後、めっきり気弱になった祖母を死の気配から守るため、おばあちゃん子の主人公が自宅警備員兼家族防衛隊として立ち上がった!!! 敵は祖父の葬儀を取り仕切った葬儀社の社員だッ!!! あいつの不吉なツラからオバアチャンを守るんだ!!! そんな話。忌仕事だったからか、明治でも葬祭業はまだまだ穢れの匂いのする仕事だったのだろうか、と伺わせる作品。チベットでも鳥葬人は村内で微妙に敬遠される存在だというし、そういうことで。
『母の死と新しい母』明治45年(1912年)1月執筆。『朱樂』明治45年(1912年)2月発表。
自伝的作品。志賀版「今日、ママンが死んだ」から、父の後妻とうちとけて、「お母さん」と呼べるようになるまでのさりげないひとつひとつの交流を丹念に描く感動作、のはずが、最後に父が後妻に矢継ぎ早に産ませる弟妹(富国強兵、生めよ増やせよの時代だったのでとても大量)を感情をこめず記述し続け、すべてブチ壊しにするという素晴らしい作品。やっぱり文豪の筆には力がありますね。
『クローディアスの日記』大正元年(1912年)8月執筆。『白樺』大正元年(1912年)9月発表。
創作。志賀版新解釈ハムレット。解説によると志賀サンの初期意欲作だそうですが、私は元ネタのハムレットをよく覚えてないので、さっぱりさっぱりでした。おおローミオ、どうしてあなたはロミオなの? きれいはきたない、きたないはきれい。トゥービー、ノットトゥービー、ディスイズアペン。
『正義派』大正元年(1912年)8月執筆。『朱樂』大正元年(1912年)9月発表。
創作。路面電車、チンチン電車に子どもが轢かれる事件。そうした事件もしくは巻き込み防止の「救助網」に掬い上げられて助かる事例は当時けっこうあったのか、本短編集にもバッドエンドの本作と『出来事』の、二つ同じモチーフの作品が収められています。
それは分かるのですが、ヨイトマケの線路工夫たちが牛鍋屋で午前様になるまで喰いかつ飲んで泥酔して人力車で遊郭に乗り付けて眠ろうとする展開が、「軍資金はどっから出るのさ」「明日からどうするのさ」としか思わず、実は高等遊民志賀サンの実話であってもおかしくないなと思いました。ナラティブをどうこうすることがフェイクを見抜く目を養うという説に沿って読むと、そうなる。
『鵠沼行』大正元年(1912年)11月執筆。『文章世界』大正6年(1917年)10月発表。
自伝的小説。紡木たくがおそらく地元民でありながら『ホットロード』で漢字が書けず「くげ沼」と書いたことで知られる鵠沼に、休日家族みんなで遊びに行く話。明治大正期にはそうしたファミリー向けの貸別荘や仕出し料理屋が湘南海浜にはけっこうあったこととか、江ノ電が藤沢まで延伸した時期とこの小説の整合性が分からないとか、いろいろ楽しく読みました。陽光きらめく海浜が活写される抒情小説なので、特になしです。
ただ、本当はみな博覧会に行きたかったし、それがだめなら徳富蘆花の百草園、否向島の百花園に行こうと家族皆で相談してるのに、惣領の甚六の横暴ですべてブチ壊しにして鵠沼行きにしてしまう志賀サンの傾角が冒頭全開ですので、後半いい話で終われたのは、湘南の氣によるところが大きいのではと思います。志賀サンは仙台藩の武士の出だそうで、高島易断だかなんかによると、鎌倉のほうに平家だか源氏だかのどっちかが行くと、どっちかに呪われるそうなので、志賀さんが源氏なのか平家なのか知りませんが、いいほう、呪われない方だったんだと思います。
『清兵衛と瓢箪』大正元年(1912年)12月執筆。『読売新聞』大正2年(1913年)1月1日付掲載
教科書に載る大名作。恬淡とした味が人をニヤリとさせずにはいられない。背伸びした創作の数々とじとじとした自伝的作品がある時瞬間的に交錯してケミストリーを発し、モノになった小説。『彼と六つ上の女』にも多少出ますが、金銭という、非常に地に足の着いた基準点から主人公の才が担保されるので、そこが小気味いいのかもしれません。というかこの短編集で父親との相克がちゃんと書かれるのは、これと『ある一頁』くらいかも。家産を食い潰すかもしれないバカ息子と謹厳実直な父の物語は、こうすることによってしか美しく生まれ変われなかった。
『出来事』大正2年(1913年)8月月執筆。『白樺』大正2年(1913年)9月発表。
創作。あるいは実話。路面電車に子どもが飛び込むアナザーバージョン。私が光村図書に勤めているなら、「この話の巻末の無邪気なひょうきんものとは何か、下記の四つから正しいと思うものを選びなさい」という問題を作って、選択肢のひとつにヒョウタンツギを入れると思います。
ヒョウタンツギ|キャラクター|手塚治虫 TEZUKA OSAMU OFFICIAL
『范の犯罪』大正2年(1913年)9月執筆。『白樺』大正2年(1913年)10月発表。
漢族の奇術師の殺人事件。『剃刀』のアナザーバージョン。創作。判官ものor法廷もの。リアルさをなくすための仕掛けとしての「支那人」
志賀サンにとっての家族なんですかね。この話の夫婦関係は。
『児を盗む話』大正3年(1914年)1月執筆。『白樺』大正3年(1914年)4月発表。
自伝的作品。ある意味本短編集最大の問題作。ブンガクなんぞにうつつを抜かしてる有閑階級子弟の青年が、尾道かどっかに小さな一軒家を借りて、悠々自適の生活を送ろうとするのですが、小人閑居して不善をなす、身の回りの世話をするお手伝いさんを所望して口入屋にどんなのがいいかと聞かれ若い女性がいいと答えてそんなのはないとピシャリと断られるあたりから地平線の彼方の黒雲がむくむくと湧き出します。
頁298
或朝父が、
「貴様は一体そんな事をしていて将来どうするつもりだ」と蔑むように云った。
「貴様のようなヤクザな奴がこの家に生れたのは何の罰かと思う」こんな事を云った。
尚父は私の顔を見るさえ不愉快だとか、私が自家にいる為に小さい同胞の教育にも差し支えると云った。
主人公は慢性的な肩こりを覚えているので、按摩に行きます。
頁307
「へえ、これが凝ってるんかいな」冷笑するように云った。そして、凝るよりは強い意味の何とかいう詞を云った。
「こらあ、脳をせめやんしょう」と云って、段々もむ手を強くして行った。
よく肩を凝らすことのある私は何方かと云えば按摩は強い方が好きだったが、これはまた腹の立つ位の荒療治だった。(略)
「どうじゃ、何分かだれんしたろう」こんな事をいうが、息を凝らしている私には直ぐ返事が出来なかった。
気欝なので、こってる「気がする」だけで凝ってないのです。
頁310
(略)「自殺はしないぞ」私はこんな事を考えていた。
成人女性や年頃の女性には相手にされないのか笑いものになるのが怖くて自分から行けないのか、主人公の気持ちはょぅι゛ょに向かいます。『児を盗む話』
そこでも高値の花のええ家のお嬢には手が出ず、疑うことを知らない按摩の娘を甘言で誘い出し、自宅に連れて帰ります。夢の中で主人公は、じっさいは子どもを「肉体的に穢して」いないのに穢されたと激怒した父親の按摩に殺されそうになります。頁320。まあ誰でもそう思う罠。そのうち勘づいた子どもはおうちに帰りたい帰りたい返してーと泣きじゃくり、本文中に1㍉もそんなこと書いてないのですが、読者はここまで読んで、嗚呼家に帰すとしゃべるだろうから口封じするのか、幾多の幼女犯罪者はこうした思考経路をたどって残虐なふるまいをしてきたのだな、と暗澹たる思いに駆られるはずです。そういう思いを抱かない人もいると思いますが、きゃつらは志賀直哉なんかわざわざ開いて読まない。
主人公はしかしいくばくか時間が過ぎた後、抵抗せず踏み込まれた警官隊に確保され、女の児は泣き叫ぶ母親に抱きしめられ、保護されます。これでよかったんだ、これでいいんだと思います。ほんとうに無駄な抵抗はしないで下さい。天網恢恢疎にして漏らさずはウソですが、それでもそれが吉です。以上
*1:
stantsiya-iriya.hatenablog.com
*2:
1925年東京に生まれる。東京大学文学部(旧制)卒業。日本近・現代文学専攻。フェリス女学院大学文学部、聖心女子大学文学部、昭和女子大学大学院文学研究科各教授を歴任。日本キリスト教文学会役員、文学博士。谷崎潤一郎、宮澤賢治、芥川龍之介、太宰治、遠藤周作らの文学を対象に、それぞれの作品テクストの示す語りの位相の綿密な追尋に意を注いで、何を語るかに迫る試みを重ねる。“ハリー・ポッター”、“ドラゴンライダー”シリーズほかのファンタジーの熱烈な愛読者でもある(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
『イーハトヴへの招待』より
*3:


